最近、自分の将来を考えてはやっぱりこれじゃない、あれでもない、って無限ループに陥ってる。一次二次はそこそこのコミュ力があればフワッとしたこといっててもなんとかなる、可能性が高い。
でも役職者は違う。具体的にこの子はなにができてそれをどうわが社に活かせて、どんな高い目標意識を持ってるかを見てる。

そうなってくると未来のことなんて全く考えてない私にはもう蟻地獄。一旦ハマったら抜け出せない。なんでみんな私には夢がありますって言えるんだろう。そこで語る夢ってつまりはマニフェストじゃん。そこで宣言するってことは入社してからもずっとそれを背負わないとな訳ではないですか。

実現は不可能だとしても高い目標があればそれに向かって頑張っていける、夢ってつまり高い目標ってことなのかな。
だとしたらそれは私にはつらすぎるなあ。今まで現実味があって今の自分よりちょっとだけ高い目標を掲げて人生を送ってきたわたしにとってはこれからの余生をかけても達成できるかどうかわからないゴールはないかもしれない目標を掲げるなんて、一生それに縛られながら生きるなんてできない。


そもそもやりたいことなんて日々変化するし今やりたいことは明日には変わってるかもしれない。この瞬間を判断材料として今まで生きてきた
何倍もの時間の生き方を決めるなんてとても難しい。

どうして将来見据えないといけないんだろう。今が楽しければ私には十分なのに。そんなんじゃ年取ってから後悔するよってことですかね。年取ってからのことを日々考えて若い今の瞬間を未来に取られるのはいいこと?
私の人生なんだから未来について考えようが考えまいがほっといてくれよと思ってしまう。しかし就活をするならばそうはいかない。

未来が大切だからである。社会というのは今がよければいいでは駄目なのである。必ず常に未来を見ている。そうしないと止まってしまうからだ。
社会は変化せねばならない。止まっていては進歩はない。人間はより良い進歩を日々求めてる。ってことは根本的に私は社会に向いてないのでは?

否、成長しようとは思ってるんだ。でも実現可能な範囲だってだけ。でも私が実現できるってことの根拠は誰かやったことあるから私にもできる、とか今までこれくらいやったらこれくらいはできたから次もできるだろう、とか端的に言えば既存という言葉がぴったり。
社会にとっての進歩は既存ではない。新しいものを0からうみ出していく進歩だ。

だから私とはマッチしない。だからと言ってこれから0からうみ出す型の目標を描けるかといったら無理だ。ほらまたループ。

こうして私は社会と自分のズレを永遠に埋められない。どうしたらいいんだろう。こんなわたしでも社会に出て働いていけるんだろうか。会の社がつくる社の会。どこに行ったって会だ。私のマイペースは会という集団には適合しない。

どこかにないかなマイペースな成長でいいんだよそれぞれバラバラなことやっててもうちの会社はやっていけるんだよみたいな企業。いやなんの会社だよそれ。余裕ありすぎるな。

現実にはそんな会社はないわけで。
向いてる方向は違えど高い目標というのは高いところでどこか交わる。高い山に登ろうとする人たちは山は違えど雲の上という同じ景色を見ることがあるかもしれない。山頂に辿り着く前であっても、その過程で。でも小さいいくつもの山を登る人はその景色は見れない。山頂についてその都度その景色に感動しているのにである。小さい山を登る人はそれで満足してるのにである。
それでも永遠に交われない。
わたしと社会はそんな感じ。
。。。