昨日のブログのおばさんの家で面倒をみてもらっていた頃の話です


何せ3歳より少し前の記憶もだいぶ残っている私なののであります爆笑


小さい頃、おばさんの家に行くと東京から届いたらしい海苔巻きおせんべいやきれいな缶に入ったあられなどがいつもあって、惜しげもなく振る舞ってくれました

東京の根岸あたりで大きく商売をやっていたらしくてお金はあったみたいです


その家の嗜好は私の嗜好となり、チョコレートやお饅頭よりおせんべいが好きな子どもになりました


さらにその家では周りの家よりワンランク上の食べ物が食卓に出ていて、そこで食事もさせてもらっていたので我が家に帰って「Kおばあちゃんちのご飯と違う!」みたいなことをよく言ってたらしい

わがままな子じゃ❗

祖母がその家に出向いて「◯◯(私の名前)にあまりぜいたくをさせないでもらいたい!」と訴えたとか笑い泣き




三姉妹が独身の頃から入り浸っていた私は、亡くなったおばさんが婿養子と結婚式を挙げた写真にもちゃっかり写っています

花嫁姿のおばさんの膝に乗って…笑い泣き


私が入り浸っていた理由をもうひとつ思い出しました

私に年子の妹ができたからです

忙しいのに加えて母が年子の妹の世話をしなくてはならないため、私まで手が回らず、、、


それに私がよくしゃべって面白いこと言うので歓迎されてたみたいです笑い泣き

東京の下町ことばで話す一家でしたから、そこで育ったみたいな私は方言をあまり使わない子どもになりました


その反動か、還暦を過ぎてから方言を使いたがるようになりましたけど(笑)


傾城阿波鳴門(人形浄瑠璃)の中の台詞、英語の歌などを三姉妹の実験台のように覚えさせられ、嫌いじゃなかったらしく喜んで暗唱していました

残念ながら傾城阿波鳴門の件は記憶になく、おばさんたちがしょっちゅう話してくれたので知っているだけです

私が大学で声楽を学ぶようになってからは「私たちが歌を教えたから◯◯(私の名前)がそっち方面の大学に行ったんだよ🎵」と笑いながら話してました


おばさんに子どもが生まれた頃、いいタイミングで私の家も新築されて国道の反対側に引っ越したので、入り浸ることはなくなっていきました

4歳になる少し前でした


いくら自動車の少ない田舎とはいえ、4歳の子どもが一人で国道を横断するのは危険ですからねウインク


しかし回数が減っただけで、行かないということはありませんでした


おばあちゃんが祖父のいとこという親戚関係でもあったから付き合いは濃かったんです

東京から疎開してきた家族だったのでこちらの親戚は少なかったからなおさら



食べ物の嗜好、言葉づかい、三姉妹の会話、英語の歌…

確実にその後の私に影響しています


甘い食べ物はいつの間にか好きになりましたけど、海苔巻きのおせんべいはずっと大好きです😝




朝から今まで、おばさんやKおばあちゃんとの思い出が次々に浮かんできています


でもこれから孫のお迎え、地区の役員の仕事や催し物の練習と続きますから切り替え切り替え!



クリスマスイブをゆったり過ごす時間はなさそうです