娘を出産し一児の母となり3ヶ月が経ちました。
産後から今現在まで私の心の中でもやもやとする感情。
それは「誰かから無償の愛をもらいたい」、「誰かに私の全てを褒めてほしい」という気持ちです。
仕事を休み、子育てに集中するなかで誰からも評価されない日々。
妊娠、出産に関しては主人が言葉で感謝を示してくれましたが、産後2週間もすれば出産のときの話などほとんど出なくなりました。
子どもは私なしでは生きられない、子どもを生かすことこそ私の役割であり今の最大の使命であるとわかっているつもりでした。
でも、産後は特に私が抱っこしても泣き止まないときもあり「子どもは別に私を求めてるわけじゃないよね?保育士でもできるよね?」などとひねくれた考えしか思い浮かんできませんでした。こんなにも辛いなら早く職場復帰した方がいいのではないかと真剣に悩んでいました。
もともとあった私の傷口が、子育てという人へ愛を与える生活をしていくうちにじわじわと広がっていく感覚でした。
主人にはこんなふうに乱れる私の心のうちを伝えることはできませんでした。
主人は普段から愛情を言葉や行動で示すタイプではなく話してもどうせ「そっかぁ、、、」と困った顔をされるのがわかっていました。
そして私が泣けば「大丈夫?」と言って心配をするのもわかっていました。
心配はするけれど、心配からくるハグはしてくれても私の欲しい無償の愛、全肯定とは違うものです。
主人には気持ちを言えないけれどどこかで期待してしまうのか、求める言葉や行動をくれないとイライラしてしまうことがよくありました。
でも、子どもの前で喧嘩をするのだけは嫌ですごく我慢していました。
産後3ヶ月経った今でもこの「誰かから無償の愛をもらいたい」、「誰かに私の全てを褒めてほしい」という気持ちは消えません。
主人に対しては最近はさみしくてもできる限り空元気で振る舞っています。
いろいろと考えた結果、
私の望むようなものは、、、
どこにもない。これが結論だと思います。
大人になって無償の愛をもらったり、当たり前のことをしているだけなのに存在自体を褒められるなんていうことはないのです。
大人は他人相手に無償の愛が生まれるということはないと思います。
もうそれはとっくに幼少期に自分の親なる人に満たしてもらうはずのものだから。
私は子どもの頃、母からハグしてもらったり、かわいい(見た目の問題じゃなく愛してる的な意味)と言われた記憶がありません。
反対に夫婦喧嘩の中で育ち、ヒステリーを起こす母にぶたれながら大きくなりました。
こういう日々が私の心に穴を開けたのだと思います。
本当はお母さん大好き!と言って抱きついて甘えたかったし、自分は望まれて生まれてきたと思いたかった。
今更過去のことを言っても仕方ないですよね。過去はどうやったって変えられない。
今の私にできることは娘に無償の愛を言葉と行動でたくさん感じさせることだけだと思います。
穴が空いたままで大人になるのは本当につらいから。
主人には具体的な行動のかたちで私のしてほしいことを伝えていこうと思います。
無償の愛が欲しい云々とか、自発的にハグしてよ!じゃなくて、最近さみしいからこうして欲しいとか、月何回はこういう時間を作りたいとか冷静に伝えるということです。
そういうことができたら、自分を褒めてやりたいです。
よくがんばったねって。
何が自分にとっての幸せなのか、わからなくなります。