6月にうけた神社検定の結果が届きましたー。
結果……自己採点通り、96点でしたねこクッキー

はー、、、まぁ受かったから良し!
あれだけ金カムに気をとられて直前まで勉強しなかったのに良くやった方だぜ私指差しキラキラ

来年こそは100点!…いけるかなww



GWに金カムにどハマりしてからアイヌに興味を持ったのですが、6〜7月にかけてアイヌ映画を3本みました。
ミニシアターでちょうど上映されてて。もう3ヶ月も経つのか…筆が遅いにも程がある爆弾

3本も映画館で観られたのは金カムが最終回を迎えた影響があるんでしょうが、ちょうどタイミングだったんだろーなーとも感じる流れ星


そんなわけで。6〜7月で観たアイヌ映画2本目『チロンヌプカムイ イオマンテ』の感想になっていない感想ですニヤニヤ
こちらも1980年代に撮影されたドキュメンタリー映画なので映像に時代を感じました。。


イオマンテというのは、小さな頃から育てた飼い熊(と言っていいのかな?)を神々の国へおくりかえすアイヌの祭祀です。熊はアイヌにとって最も位の高いカムイ(神)とされてます

神の国へかえったその熊から「大切に育ててもらって丁重におくってもらえたよ〜地上は良いところだったよ〜」と他の神々に伝えてもらい、その話を聞いて人間界に行きたくなった神々に肉や毛皮をもってたくさん訪れてもらおうぜグッって儀式です。
ざっくり言えば豊猟祈願ってことですかねー。


神々の国へおくるとは…まぁ…端的にいうと殺してしまうのですが…
個人的には人身御供に近い印象。あくまで個人的な感覚です

熊送りとも呼ばれているので代表的な対象は熊なのですが、この映画はチロンヌプ(狐)のイオマンテでした。


イオマンテの準備の過程から実際の祭祀までがおさめられていて、記録としてはとても貴重なものだと思います。倫理的に現代ではもう難しいでしょうし…
でもねー、、、現代人の感覚でみてしまうとやっぱりどーーーーーしても抵抗ある内容だなってのが素直な感想でしたあせる

観る前にイオマンテの知識はあったけど、実際に映像でみるとやはりショックは大きかった。。


「神々の国へおくる」ことが目的といっても、事実だけをみると「なんの問題もない健康な動物を殺す」わけです。
ましてやこの映画、なんでこの狐のイオマンテをやるのか全然説明してくれないんですよ。。
いや、マジでなんでやったの?記録として残したかったから?
理由については最後まで???でしたね凝視



最後に命を奪うわけですが、儀式の過程には
・檻の周りを取り囲んでコタン(村)の人たちが踊る
・タクサ(笹っぽいのを束ねたもの)で煽る
・花矢(矢尻がついていないので傷付きはしないけど)を射かける
とかあるわけです。

完全に狐に感情移入してしまって、頼むからあああああもうやめてあげてええええ…って胸がめちゃくちゃ痛くなってしまいまして泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ

動物好きは結構つらい映像かと思います。
舞台挨拶ききたくて結局3回観にいきましたけどね…


でもまぁ常識や倫理観なんてものは時代や国によって全く違いますしね。
「今の私たち」の感覚だと信じられない内容でも、「当時のアイヌたち」にとってはそこまでではなかったのかもしれません。


記録としてはとても貴重なものですし、実際に見ることができたのも知識としてはよかったです。
これも確かにあった「歴史」ですから。

でもやっぱりイオマンテを実施する意味が腑に落ちない…ってのが正直な感想かなぁ。

この映画に限らず、イオマンテって祭祀そのものの意味です。


イオマンテという儀式の意義は「お土産(お供物)をたくさん持って神々の国へおくり、こちら(人間)の世界の良さを他の神々にも伝えてもらう」というものですが、
金カムでイオマンテを知った時から自分の中でこれがどうも肚落ちしなくてですね。。

だってすっごい人間に都合よすぎなんですもん。。

殺した熊の皮も肉も無駄にするわけじゃないけど、でもわざわざ可愛がって育てた子を対象にする必要ないじゃないですかもやもや


豊猟祈願なのはわかるんだけど、いまいち本質がみえないというか、どうもしっくりこなくてショボーン



イオマンテに限らず何事においても言えることだけど、大事なのは本質であって手順や作法ではないと思うのですよ。

歴史資料としてはもちろんとても重要なものだし残すべきだと思うけど、世間の価値観は時代の流れで変わっていくのですから。
時代の流れに合ったものに変化していかなければ残るものも残らないと思うのです。


残さなきゃいけないもの繋いでいかなければいけないもの変えてはいけないものは、それを行う目的や本質。
儀式の手順や手段は文化としてはもちろん大切だけど、時代の流れと共に変えるべき見直すべきことは変化(進化)してもいいと思う。
本当に残さなきゃいけないもの(本質)をつないでいくために、こだわるところを間違えてはいけない。


どんな時代にあろうが大事なものはみえないもの(本質)であって、みえるもの(手順や作法)ってあくまで手段でしかないと思うんですよね。


最近知ったのですが、イオマンテは1955年に北海道知事名で廃止通達が出ていたそうです。でも法的拘束力はなかったんだとか。この辺がよくわからん…
それが今年4月にこの廃止通達が撤廃されたとニュースでみまして。
結果…抗議の声が殺到したそうです。まぁそりゃそうでしょうよ。。ネガティブ


撤廃されたからといって現代社会で行うのはまず難しいのは変わらないだろうけど。
でももし万が一、今後イオマンテが行われるとしたら「イオマンテという祭祀の本質」を落としこんだ上で行ってほしいとは思う。


覚悟はしていたけどなかなかにヘビーな映画でした。。ショック



2022.09.21
一花ぽってりフラワー