みえない世界や神仏を信じるようになった
1番最初のきっかけは占いでした。
占いしたいって思うことは
今はもう全くないんですが
そもそも聞きたいと思うことがないんですよねー
いま冷静に考えると
100%確定してる未来なんて
そもそもないのだから、
当たるも八卦、当たらぬも八卦
ってのは本当その通りだなって思う。
だって未来なんて
今この瞬間の考え方1つ・行動1つで
どんな方向にも転換する可能性がありますもん。
もし100%確定している未来なんてものが仮にあるとしたら、
それこそ人間では干渉することができない、
理に則ったことなんじゃないかと思います。
前に弁天さまから
"神ですら、確実な未来なんてわからない"
と言われてものすごく驚いたことがあって。
え!神様なのに!?
って言ったら
"人間は次の瞬間に何をしでかすか分からないから"
"我らは選択肢(縁)は与えられるが
決定権は持っていない"
と。
これ、すごく納得したんですよね〜
"あっちの道を選んだ方がいいよ"みたいな
上からのヒントやサインは
直感やシンクロって形でくることは多い。
まずそれに気づけるのか。
気づけたとしてそれを信じられるのか。
信じられたとしてそれを選択・行動できるのか。
選択肢を与えたとしても、
結局どれを選ぶのかは
人間側に完全に委ねられてるから
選んであげるところまではコントロールできない。
選択することも、行動することも、
その思考と肉体を実際に動かせるのは
その人本人しかいないんですから。
そりゃ
こいつら何しでかすか分からない…
ってなりますねww
ただ、
"何をしでかすか分からないから
面白いし飽きない"
んですと。
最初これを聞いた時は
えー、人間って愚かだなーって呆れない?
って思ったんですが、
私達からみた子供とか犬猫みたいなもんなのかなぁと最近では思うようになった。
子供も動物も
次の瞬間に何しでかすか分からないとこ
ありますもんね。
でもそこがかわいいし見てて飽きない。
それでも人間がそんなかわいい存在だとは
思えませんがね、正直
でも
決定権は本人にあるから
100%確定してる未来はない
ってのはすごく肚落ちしたんですよね。
そもそも、そうでなきゃ
人として生まれてきてる意味がないでしょうし。
占いに振り回されてた頃の自分は
人としてまだまだ幼かったなーって。
たまーに思い出して
ちょっと恥ずかしくなったりします…
それでもあの経験があったおかげで
そこからの出会いや学びを通して
今の自分があるのは紛れもない事実なので、
あの頃の行動はあれはあれで
別に間違いではなかったのだろうとも
思ってます。
正解ではなかったけど、
不正解=無意味ではないですから。
めっちゃお金つかったなとは思いますがね!
もっと早く気づけよ私!とも思いますけどね!
勉強料がそれなりにかかったなってのは
今でもちょっと反省してます…💸💸