花ちゃんの言霊

花ちゃんの言霊

フリースタイルピアニストけいちゃんにハマってワクワクドキドキの日々を送っています
手作りダイスキ〜
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 父を早くに亡くした私は、まだ13歳中学2年生だった。修学旅行中の京都で父の死を知った。突然の別れに1人帰宅させられた。病院で父の顔を見ても、信じれない思いだった。

 父は書道が好きで、大学生に書道を教えていた。資格は無いが襖や大きな紙に墨痕鮮やかに自由に書いていた。私が習いに行っていた隣に住む書道の先生からも惚れられて良く交流していた。

 父が夜遅く帰宅すると、子供だった私は寝ている所を起こされ、眠いのを我慢しつつ、大きな紙に父が気にいるまで、書かされた。特に難しいのは、墨を紙に飛ばして出来た黒い点々を繋げて、作品にする事だった。

 早く寝たい私は必死で書いた。1回で気に入ってくれて、ごきげんさんになった父の嬉しそうな顔が1番好きだった。

 今思えば、これが私の父への親孝行だった。

 当時、母は39歳、弟と私を育てる為に、父の経営していたスーパーを引き継いだが、大変だったので叔父に譲り、慣れない会社勤めをしてくれた。私は夕飯のご飯炊きとお風呂の係。マッチで火を点けるのが怖かった。

 家計を助ける為に、高校卒業後は建設会社に就職、弟が社会人になるまで面倒をみた。

 結婚後は、転勤族の主人と共に、北海道、山梨、横浜と10回引っ越しした。帰省する度母は、いつも心良く私達を歓迎してくれて、色々な所に一緒に出掛けた。

 弟が結婚してお嫁さんが同居してくれたので、私も一安心。お嫁さんと気が合って楽しく生活していた。だんだん実家にも足が遠のいた。

 好きな事をやり、元気に人生を謳歌していた母が、8年前に肺癌になり、入退院を繰り返し、3年前に90歳で亡くなった。その頃から、私に会いたいと電話をくれるようになり、父の分も最期の親孝行をとの思いで、実家に時には病院に何度も何度も通った。

 たわいもない話に花が咲き、母の好物を一緒に食べた時間が、宝物となった。

 今頃、天国で父と楽しくやっているのかなと思う事も、親孝行になっている。