日本は情のない冷たい社会になっていくという記事を読みました。

それはどうかわからないけど集団免疫というのをコロナ禍で知って、情のある社会についてこう思いました。

 

集団免疫とは 人口の大半が感染症に対して免疫を持っている場合、その感染症に免疫を持っていない人を守ることにつながる。

 

一定の割合で優しい人がいる地域があったら大丈夫な気がします。守ってくれるから。

反対に一定の割合で情のない人が多くいる地域は怖い気がします。

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過疎というのは、人間が少ないということではないです。

言葉のやり取りや気遣いをしなくなっていくことが過疎です。

人がいっぱいいてもそこにコミュニケーション、ふれあい、気にかけることがなければ過疎です。

 真城義麿  (今治市の離島のご住職)の御法話

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東京にいた時は、住んでいた場所が情のない新興住宅地。学歴信仰もここまでいくかと言うようなマウントが好きな母さんが多かったです。だから人口が多くても心は過疎の町でした。

でもあのお母さんたちを擁護するところがあるとしたら自分の人生を楽しむような教育を受けてないからですね。

 

宗教というとカルトと混同されるけど聖書を読んだりお釈迦様の言葉を噛み締めると心が豊かになります。学歴を信仰しても心が豊かになりません。競争して上を目指すのが目的だから、そこに人格教育がありません。

仏教は物理学なのだそうです。この世界は人間から見える世界とは違うそうです。仏典に書かれていることに今の科学は追いついていないのです。

個人がそれだけは存在していなくて人は皆繋がっている。だから人を攻撃すれば結局は自分もダメージを受けることになります。布施が大切なのも他人を大切にすることで自分もパワーが貰えるからです。競争社会というのは人の幸福を望まないから自分も幸せになれないですね。

 

ここは、田舎。

畑のおばあちゃんたちはお互い幼馴染なので80年以上のつきあい。この辺りは、情のない社会ではありません。昔の日本です。畑からおバーバの笑い声が響いてくるとそれだけで心が和みます。過疎地域指定されてますが心は過疎の町ではありません。

田舎暮らしの豊かさです。移住して失敗するのはそこが情のない田舎だったんじゃないかと思います。どこでも良いわけではないみたいです。

情のない社会を生きるには心の豊かさについて考えて生きる事というのが大切。でもこれに賛同しない人が多いんだそうです。

なんでですかね?