打ち合わせにユノのオフィスに顔を出したチャンミンが、珍しく携帯と睨めっこしている。

 

「なんだ?」

 

ユノが画面をのぞき込むと、犬ぞりレースの動画を見ていた。

 

「知りません?カナダでは毎年犬ぞりレースが行われるんです。僕がカナダにいた頃はまだ子供で参加できなかった。いつか参加したいと思っていたんです」

 

「お前、カナダ行くのか?」

 

「…アナタのそういう鈍い所…はぁ~…ジェジュンさんに同情しますよ」

「は?ジェジュン?」

 

「ジェジュンさんに頼まれたんですよ、カナダで仕事をするかもしれないから代理人になって欲しいと」

「え?そうなのか?」

「まったく、アナタたちは肝心な事をちっとも話し合ってない!そういうのはダメだと思いますよっ!」

 

「それで引き受けるのか?」

「一時的に。どうせ僕もアナタとの契約が切れれば仕事がないしね」

「だからそれは…この先もシウォンを助けて欲しいと」

「その話はまた後で。それより、西方派の方はどうなってますか?」

 

うぅんとユノは渋い顔をした。

 

「小競り合いが増えてきた。このままじゃ一触即発だ。まずいな…」

「会長の方は?」

「許さん、それの一点張り」

「八方塞がりですね」

「まぁビジネスではよくある話だ」

 

「会長には何と言ったんです?どうせこれはお願いじゃない、報告だ!とか言ったんでしょう」

「お前見てたのか?」

 

「大体わかります。もっと可愛くお願いしてみては?会長はあなたに弱い。幼い頃構ってやれなかったと後悔しています。ソッチ方面から攻めた方が良いと思いますがね」

 

「可愛くお願いって…そんなことできるかっ!」

 

 

 

チャンミンは、東方派本部に向かっていた。

赤じゅうたんが惹かれ、重厚なドアの前、強面の男が二人立っている。

軽いボディーチェックの後、会長がいる部屋へと通される。

チャンミンは顔色を変えずに心で思った。

 

…今時こんな事をやって…いつの時代だ。

 

「やぁチャンミン、よく来た。久しぶりだな」

「御無沙汰しております」

 

チャンミンが腰を折って挨拶すると、会長はにこやかに迎えた。

しばらくは仕事の話をしていたが、会長は本題に入った。

 

「ユノは、本気で言ってるのか?若頭を降りて一企業人になると。そんな事出来ると思うか」

 

「彼は本気です。私も出来ないとは思いません。彼はとても有能です。せっかくのその能力、日の当たる場所で生きた方が良いと思います」

 

「しかしそれでは組の者に示しがつかん。あやつはワシの息子だ」

 

「会社の事は心配いりません。シウォンもとても優秀です。利益が減ることはないでしょう。それに今の時代世襲はないでしょう。息子じゃないほうが組員も納得するんじゃないでしょうか」

 

「お前は…賛成なんだな」

「えぇ。会長も…本当はそのほうがいいとお考えなのでは…?」

 

「チャンミン、あいつは16の時から組の内部に入り、18ではもう若頭候補に挙がっていた。東方派組長の息子として、良くも悪くも組の中で生きてきた。それが体に染みついちまってる。いまさら、堅気の真似事なんて…」

 

「真似事ではありません。…いいにくい事ですが、この際ですからはっきりと申し上げます。ヤクザはもう時代遅れです。淘汰される存在だ。いくらかは残るでしょうが、地下に潜るでしょう。今はもうそういう時代です…」

 

「確かにそうだ。わしだってユノが外の世界で生きることを望んでいる。出来るならあいつの夢をかなえてやりたい。だが…出来る事と出来ない事がある。アイツには無理だ…。あいつは…ここでしか生きられない男なんだよ…」

 

「会長、アナタはまだご自分の息子がどんな人間かご存じない。貴方のご子息は不可能を可能にする男です」

 

 

会長はそれきり考え込んで話をしなかった。

 

 

 

「シウォン兄!お疲れっす!久しぶりに飯食いにつれてってくださいよぉ~」

泣きそうな顔で犬のようにまとわりつくジュノを、仕方なく焼き肉屋に連れて行った。

 

美味いっす!美味いっす!とモリモリ食べる姿は、子犬が尻尾を振っているようで、シウォンは笑いながら焼酎をすすった。

 

「ジュノ、お前はどうやってユノ兄に拾われたんだ?」

「初めて会ったのは18ん時っす。ついてたチンピラの兄貴に、あいつのカバンひったくって来いって言われて、それがユノ兄でした」

「はぁ?お前、ユノ兄のカバンひったくったんか?」

「はい。それでボコボコにされて。帰ったらチンピラにもボコボコにされて」

ハハハと笑いながらシウォンは焼酎をグラスに継いだ。

 

「どうせボコボコにされんなら、ユノ兄についていたほうがいいなーって。だってユノ兄ってカッコいいじゃねーっすか」

「それで?」

「それでユノ兄探し出して、舎弟にして下せぇって言ったら、そんなダセーもん持たねぇって言われちゃって。でも数日後、またチンピラにボコボコにされてたら、ユノ兄が来て、俺の舎弟を殴るなって、引き取ってくれたんっす。ユノ兄の一睨みで全部解決っす。マジかっこよかった!」

 

キラキラした目をしたジュノに、シウォンが口を歪ませて笑った。

 

「お前はまだ知らねぇんだよ、ユノ兄の本当の怖さを」

「え…?教えてください!俺そういう話聞いた事ねぇっす!」

 

シウォンは酔ったのか、ふうっと勢いよく煙草の煙を吹いた。

 

「あれはいつだったか。ユノ兄が23の時か。若頭として任命された直後だった」

 

当時「光栄会」はソウルに来て「東方派」に名前を変えて6年目で今よりずっと規模が小さい組だった。

ユノもまだ若く、今のように金を稼げなかったから、田舎ヤクザとしてバカにされていた。

「西方派」と手を結んだが、その規模の違いは歴然としていて、力関係は西方派がずっと強かった。

 

「西方派にはユノ兄と同じ年の息子がいてな、そいつが事あるごとにユノ兄を田舎ヤクザだとバカにして絡んでいたんだ。もちろん、ユノ兄は相手にしなかったがな」

 

そんなバカ息子のギボムが、東方派のシマで大暴れした。

ありえない愚行だが、西方派の息子に誰も強く言えない、それをいいことにギボムは更に暴れた。

 

「調子に乗ったんだな、あるうちの若い奴をボコボコにしたんだが、それが組員じゃなかった、ユノ兄がお前はヤクザになるな、真面目に生きろって追い返した奴だったんだ」

 

「はぁ?じゃあ堅気に手を出したって事っすか?それはありえないでしょ」

 

「怒ったユノ兄は俺を含め数人だけ連れて、西方派の事務所に乗り込んだ。しかも丸腰で」

 

当たり前だが組事務所、多数のヤクザがいたが、ユノはその組員をバッタバッタと切り捨てるように倒していった。

一撃で相手の急所を打ち、立ち上がれなくする拳は、早過ぎて誰にも見えなかった。

 

「その背中たるや…阿修羅がいるのかと思ったほどだ。そんで組員と間違えてボコボコにしたやつを見つけると、そこにあった硯を口の中にぶち込んでアッパーをくらわした」

 

ひぃぃいとジュノが思わず口を押えた。

 

「そいつ…どうなったんすか?」

 

「歯なんかあるわけねぇ。顎も砕けた。血まみれのそいつを見下ろして…フンって笑ったんだ。まさに返り血を浴びた虎だよ。あれからユノ兄は光州の虎と呼ばれるようになったんだ」

 

「そ、それで…そのバカ息子はどうなったんです?」

 

「ユノ兄の恐ろしさにビビッて逃げた。窓から飛び降りて足の骨を折って入院した。噂じゃビビってしょんべん漏らしてたってよ」

 

「ハハッ!」

 

「お前は知らねぇだろうが、光栄会は光州にあった頃、かなりの武闘派だったんだ。人数は少なかったが、一度カチコミ掛けたらその後にはなんも残らねぇってな…全羅南道一帯を統治してたのは、光栄会だ」

 

「なんでそんな武闘派だったのに、ソウルに来たんすか?今、光栄会が武闘派なんて…誰も信じないっすよ!」

 

シウォンがグイっとジュノに顔を突き出して言った。

 

「死ぬからだ。武闘派気取ってると、過激な抗争が増えて誰かが死ぬ。その度カチコんで復讐してたら、永遠のループだ。それを嫌って今の組長がソウルに進出したんだ」

 

「え~、武闘派の方がカッコいいのに…」

 

「てめぇは誰かが死ぬって事がまだ分かってねぇんだよ。調子に乗るのはいいが、組に迷惑かけんなよ」

 

シウォンの鋭い眼光に、ジュノはシュンと小さくなって頷いた。

 

 

 

 

 

光州の虎

 

 

 

 

※※※

今は企業人みたいな顔してますが、恐ろしい光州の虎だったんですね。

裏話としてギボムは全然腕っぷしも強くないので、部下にやらせていました。

ユノがボコったのは下っ端だったので、問題にはならず。

それより、あの「光州の虎」を怒らせてはならない、と西方派は恐れおののいたという話です。