3つ前のブログで書いたとおり、夫は元々、”自然に子供が授かれないのであれば、人工的に頑張らなくとも2人のままでも満足ニコニコ”という考えを持っていました。


ただ私の希望が強かったので、”妻が希望するならば自分にできることは協力すべきだと思う”と、不妊治療にOKを出してくれた形。


思えば、タイミング法から始まり、人工授精、アメリカでの顕微鏡授精と、よく付き合ってくれたと思います。


ただ、そもそもの熱量が違ったので、不妊治療中に私の子宮内膜症•子宮腺筋症の悪化が判明し、思った以上に不妊治療の時間やお金がかかったことで、夫としては”そんなにやらなくても”という思いが出てきたんだと思います。


一時、”不妊治療”というワードでさえも、2人の間で出せないほど、センシティブなものになってしまいました。


“子供が欲しい”という気持ちも、間違ってないし、”子どもがいない夫婦”というのも、もちろん間違っていない。

40年弱前なら、体外授精は日本になかった技術で、授からなければ諦めていたはず。

それを医学の力を借りて、お金をかけて人工的に授かろうとするのは、確かに自然の流れに逆らっているかもしれない。

本来産まれてくるはずがなかったかもしれない子を体外授精で授かろうとしているのは、あまりに無理矢理でわがままなことなのか?


彼と同じ方向を見れない時に、ぐるぐる考えていました。


大人になって結婚したら、子供を授かるのは夢だったし、当たり前にくる将来だと思ってた。


速やかに自然妊娠したら、こんなに考えていないだろうに…”子供を授かる意味”を、頭がパンクするほど考えていました。


不妊治療は、受験勉強のように頑張ったら頑張っただけ結果が出るものでもないし、残念な結果になった時に、自分の頑張り不足だと納得いくものでもない。反省点を見つけて次に活かせるよう頑張ろう!とできるものでもない。

ストレスは大敵というのに、気が張る分ストレスと緊張は高まるし、期待する分、落ち込みも激しい。

サプリ、漢方、鍼灸、体質改善、運動、食事、諸々の検査、何をしたら正解かわからないし、ゴールに至るまでどれだけお金をかけたら良いのか、先が見えない。


年齢的にも、”今、頑張れる時に頑張りたい”と焦る私。

”毎日の注射も頑張る。また残念な結果になって挫けそうになるかもしれないけど、頑張る。”と思っていた気持ちも、考え過ぎて心が折れそうにえーん


でも彼の考えを聞く事で、”本来の夫婦の形は、まずは”2人で居て幸せ”。子供がいて完成という訳ではない。”という当たり前のことに気付かされることもありました。

まだ諦めきれてはいないけれども、”夫婦2人の未来”というのも、あるかもな と、頭の中にボンヤリ考えるスペースが出てきていました。


不妊治療をお休みすることも考えましたが、最終的に、私が日本に一時帰国した後、子宮内膜症の進行を防ぐために、不妊治療を長くストップする時間的余裕はなかったため(レルミナ服用後、その効果があるうちに移植すること)、”私の病気の治療になるのであれば、私の病気は治したいから移植を進めよう”と、速やかに今ある胚の移植を進めることになりました。


ちなみに、”医学の力を借りて状況を変える”ことにどこか引っかかりがあった私ですが、夫のおかあさんが「おじいちゃんが透析をして、医学に助けられていたのと同じじゃない?」と言ってくれ、気が楽になりましたチューリップ


沢山たくさん考えましたが、”物事には正解はない”ということに改めて気付かされました。