1回目の移植が成功しなかったあと、1ヶ月日本に一時帰国しました。

理由は、ざっと↓こんな感じです。


①コロナ禍で、私自身気持ちの切り替え/気分転換が上手くできなくなって落ち込みが強くなってしまった。
 -ロサンゼルスはこの時期店内飲食が不可。コロナ前は日本でもアメリカでもよくやっていた、”カフェで気分転換に作業しようかな”も、できない。外出も場所によっては安全と言えなく、運転も自信があるわけではない。友達に会えない。物理的な居場所は家以外にないけれど、仕事もしていないし、家にいることも自分の居場所でない気がしてしまう。理由④の状況もあり、夫ともギスギスしがちに。負のループに陥り、気分が塞ぎがちに。

②子宮内膜症&子宮腺筋症への不安。
 -アメリカで病気がより進行したらどうなるんだろう。コロナ禍で簡単に日本の病院に飛んでいけない不安。


③今後の不妊治療への不安。
 -胚盤胞は着床前診断も終えてパーフェクトなのに、2つ胚を戻したのに着床しなかった(=私に妊娠しなかった原因がある)という、自分を責める気持ち。次の移植も成功しなかったら と思う不安(今思えば、1回の移植で絶望的な思いになるのも早かったのですが…。)。

 -金銭面(日本よりやはり高い…上に、いつ妊娠できて、どれだけまだお金が必要かわからない不安)。


④夫との不妊治療への熱量のギャップ

 -夫としては、高度な不妊治療を長期間してまで子供を欲しいとは強く思ってはいない。子供がいたら、新しい生活が待っていてそれはそれで楽しいだろうが、子供がいなくとも2人のままで満足と思っている。私が希望するならばと始めた不妊治療が、思いの外長引いて、コロナで夫も諸々疲弊していたこともあり、不妊治療に対して前向きでなくなる(…このことは、改めて書きますショボーン)。ということで、不妊治療をまだ頑張らなきゃ!という思いを持ち続けようとしている私は、彼と思いを共有できなくなり、塞ぎがちに。



今思うと、LAのコロナの状況が1番悪かった時期ということも掛け合わさって、軽く鬱だったと思います。

笑えない、身体を動かさない、食べたいと思わない…病は気から。心の栄養って、本当に大事だなぁと思います。


ロサンゼルスは好きだし、コロナ禍で一時帰国をするという考えは私にはなかったけれど、この気持ちの落ち込みように、日本の両親が「一度帰ってきたら?」と言ってくれました。万が一、コロナ関連で日本に迷惑をかけたらと思うと帰りたくなかったのですが、自分でもこの状況を打破するには環境を変える必要があると感じていたので、帰れる場所のある有り難みを感じました。


日本に帰るのに(2021年2月当時)、出国の72時間前のPCR検査、日本の空港でのPCR検査、父に空港までお迎えに来てもらう、2週間の隔離期間、アメリカへの帰国前にPCR検査と、諸々大変であっという間の1ヶ月の滞在でしたが、思う存分、日本の病院で子宮内膜症関連の検査をしてもらい、今後の方針について日本の先生にも見解をもらい、有意義な一時帰国をすることができました。


ロサンゼルスは日本食も手に入るし、気候もいいし、それほどストレスは溜まってないと思っていたけれど、日本に降り立った瞬間の日本のにおいと空気に、心がホッとしたことにも驚きました照れ

体に染み付いてる、生まれ育った場所を懐かしく思う力を感じました。