あぁ、あれから9年経ったのかと思うと、ずいぶん時間が経ったものだなと感じます。
1型になってもなってなくても、9年経つといろんなことが色褪せてしまうもの。
正直、9年が10年がわからなくなってたし、そこに関してはもうどうでもいいことになってる気がします。
思い出せば思い出せる記憶も、あやふやになったりして、強烈な記憶しか残らないものです。
毎年12月10日は、そんな記憶の整理をする節目の日。
いらないのかもしれないけれど、忘れてもいい記憶なんだろうけど、忘れてしまうくらいの記憶になったのかどうかを確認する日かな。
1型の記憶で言えば、やっぱり発症した時のことはまだ覚えてます。
何もない、ほとんどの人にはただの廊下に見えるこの景色も、僕にとっては一生忘れられない風景。
天井、廊下、窓越しの景色、体重計の数字、退院してきた時に食べた食事とか、あの時の風景は覚えてます。
痛みや苦しさよりも、そういうことはよく覚えている気がします。
こうして思い出すと、退院してた時に降っていた雪や、バスから見える風景、1人になった時の気持ちが思い出されて、あの時のことは苦しかったんだなと感じます。
ただ、思い出さないと思い出せないくらいの思い出にはなってるかな。
描き始めたらそれなりの量になるくらいの強烈な記憶はあるけど、それでもそれを忘れさせてくれるのは時間。
10年という時間は、どんな人にとってもそれくらい長い時間だと思います。
10年生きていれば、悪いこともあれば、絶対に良いこともある、それくらいの長さかな。
だから、10年前から始まった、1型になったからこそ感じることになった苦しさもあれば、なったからしか感じられなかった幸せなこともありました。
大きな変化は、結婚と子供の誕生。
妻や子供のために長生きをして…って思うけど、そこまで強くは思いません。
正直、発症したことで自分の死生観は変わりました。
死んだらしょうがないっていうのは、今でも本気で思ってます。
大切な人がいてもいなくても、死ぬときは死ぬし、それは事故か病気かわからないけど、望む望まないに関わらず避けられない。
遅いか早いか、それだけ。
悲しいことだけど、仕方ない。
いつか死は訪れるものだから、それはそれで仕方ないけど、生きてる以上は子供の成長をみていたいし、一緒にいるときは全力で愛情を注いであげられたらなぁと思います。
もっと大きなことは、ずっと追いかけてた夢を片手に掴んだこと。
両手で掴むことはできなかったけれど、片手では掴むことができた。
夢って、叶える過程で夢じゃなくなって、通過点になるってことを知りました。
だから、2年前も、来年も、通過点。
歴史を作ってるんだなと感じました。
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日をまたぐとちょっと思うことも変わるわけですが…
発症当時、ブログを書き始めた理由「発症したばかりの人の何かの支えに」という思いは、多少なり果たせているのかなと感じます。
毎日、わずかながらでも見てもらえているのがわかると、それはそれで役になっている気がします。
とはいえ、大なり小なりいろんなことを感じて今に至るわけです。
発症した直後から「がんばろう!」とかいうのは、正直気がしれないです。
僕の場合は、そんなふうに思える状態じゃなかった。
意識を無くしたとき、目が覚めたら何十人の医療従者の方が自分の周りにいたのを見たとき、落ち着いて目が覚めたら実家から親が呼び出されていたとき。
毎年思い出す「痛い」「苦しい」「誰か助けて」それしか思えなかったあの日。
ただただ苦しくて、もうダメだと思った。
あれから9年が経って、今日は子供と2人で遊びに行きました。
3歳になった子供からすれば、僕と同じで、僕が注射することは当たり前。
発症していても、していなくても、時間が経つと大抵のことはどうでも良くなる。
今が苦しくても、振り返ってみたら、あの時の苦しさは忘れてると思う。
そう思えるのは、生きているからこそ。
もし、今発症してどうしたらいいかわからない、苦しい思いをしている人がいたら、こうしていろんな人のブログを読むのは本当に支えになると思う。
みんな、それなりに大変でも生きて楽しいことも、幸せなことも感じられているんだから。
そろそろ治る日が来るかな?
いつか来るその日を信じて。
去年より、少しだけ幸せな一年になりますように。