忘れないようにするための備忘録として書いておこうと思う。
長文になるので、結論から。
「もし今1型を発症して、それが受け入れられなくて辛いなら、仕事なんてやめちゃえばいいんだわ」
「バックれ?別にいいじゃん」
「社会人としてとか言うけど、それは身体的健康であることが前提でしょ。WHOの健康の定義読んでから出直してこい」
とまぁ、若干言葉はあれですが、なんとなく伝わってもらえれば幸いです。
今思うのは、自分の座右の銘になりつつある言葉。
『人の人生を生きるな!』
他人に自分の人生を振り回されるような生き方をしちゃいけない。
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当時の職場は医療機関で、小さなクリニック。
今は予約でいっぱいらしいけど、当時はまだ予約が埋まり始めたくらいの時。
人間関係は微妙で、大嫌いな上司(今でも56してやりたいと思うくらい嫌い)と中年の難しいおばさんとその手下みたいな子が苦手だった。
診察室内で雑用やら先生の手伝い、診察の手伝い、処置の手伝いをしてたわけだけど、どうしてもその仕事が好きになれなかった。
やりたいことじゃなかったしね。
発症したのはあの日でも、劇症1型によくある感冒症状は1w前には出てたと思う。
苦しかったなぁ。
でも、周りは風邪だと思ってたよね。
自分もそうだったし。
それくらい仕事と人間関係がストレスで、とにかく上司が嫌いで仕方なかった。
1年半の在籍で、ストレス性蕁麻疹、ストレス性胃潰瘍、ストレス性十二指腸潰瘍などなど、いろんな病気になりました。
発症した時のことより、発症後のことをよく覚えてる。
退院して、真っ先に職場に行った時の受付の難しいおばさんとその手下の冷たい目線。
上司の説教(仕事の話で)
あの3人のことは、良くも悪くも忘れられそうにないけど、忘れつつある。
考えても仕方ないし、無駄だからね。
本当は、帰ってくるつもりだったけど、気持ちに余裕が全くなかった。
退院後の血糖不安定や、2015年正月に風邪?でダウンして寝返りすらできないくらい体調が悪くなったことが追い打ちをかけた。
救急病院に行ったり、すぐに東京に帰ってきたり。
とにかく全てが落ち着かなかった。
ただでさえ職場のストレスが強かった時に、追い打ちをかけるように発症した劇症1型。
もう職場には行くことすらできずに退職。
挨拶や荷物整理に行くことすらしなかった。
できなかった。
メールで上司の名前が視界に入るだけで全身の毛が逆立つような状態になって、血糖値もコントロールできなくなっていたから。
人のことなんか考えられないくらい打ちのめされていたから、とにかくもう関係をすべて断ち切りたいと思った。
結果、退職の手続きをすべてメールで済ませた。
それが、いわゆる常識外れのやり方だとわかっていても。
今思えば、後ろめたさや後悔のような気持ちがあるけれど、それはなんとなく受け入れて生きていられるからであって、あの当時は限界だったと思う。
ただでさえ「何がしたいか?」「どうしたいか?」がわからなくなっていた時だったから、どうしようもなかった。
もしいつか、また先生や当時の同僚に会うことができたら、会っても大丈夫だと思える時が来たら。
その時は、当時のことを謝りたいと思う(上司含む3名を除く)。
今ならできるかなと思ったけれど、まだ無理だったみたい。
またいつか。
生きている間にでもできればいいかな。
とにかく、無理はしちゃいかんね。