こんにちは。ハムプです。

先日、36年ぶりに長崎に行って来ました。

何故、長崎かというと理由はわからず・・・。^_^;

何はともあれ行って来ました。

 

出発の時の羽田空港です。朝が早かったので日の出ギリギリくらいを撮影しました。

しかし、窓ガラスがちょっと汚れていたので、光の加減がイマイチ。(;'∀')

兎にも角にも長崎へ出航しました。

着陸時の長崎空港です。曇っていましたが、雲の隙間からの光のシャワーが凄かったです。飛行機は小型でしたが、そんなに揺れることなく、快適でした。

この後、ちょこちょこあちこち行ったのですが、メインとして4か所記載したいと思います。

①長崎平和公園 ②浦上天主堂 ③福済寺 ④コルベ館

この共通項は、「平和の尊さ」になります。

 

まずは、平和公園。平和公園と言ったら

ですよね、平和記念の像です。

行ったのが平日でもあったことから、日本人観光客はわずか。

ほとんどが中国から来た観光客でした。

ここでは、像をバックに「カシャカシャ」と撮影する観光客が多数。

流石に、騒いでいる観光客はいませんでしたが。

この公園ですが、あることに気が付きました。

この公園には、平和の祈りを込めて複数の国から平和祈念像がおくられているのですが、その国が「ソ連」「中国」「キューバ」「ドイツ」「イタリア」「ポルトガル」「スペイン」「ポーランド」等々。

日本では共産圏と言って、ネガティブなイメージが色濃い国々が実はおくってきていて、アメリカは姉妹都市?での設置。イギリスやフランス、北欧諸国等は有りませんでした。一概にこれが全てとは思いませんが、一つの情報だけを信じることは、非常に危険ではないか。と感じた次第です。

グランド0。爆心地です。(原爆)

自分は、ここで祈りを込めて光の柱を立てさせていただきました。

真ん中の碑の裏で、建立の所作をしていたので、凄く目立ったかもしれませんが。(*_*)

この公園の近くに原爆資料館があります。

さすがに、この資料館から沢山の外国観光客が出てきていましたが、騒いでいる人や写真撮影している人は0。

皆、神妙な顔をしていました。

浦上天主堂です。これは言わずもがなかもしれませんが、ここには、有名な

「被爆のマリア像」が展示されています。

自分も見てきましたが、正直凄く不気味さを感じました。

この天主堂前の像も被爆したものです。

浦上天主堂は、原爆で壊滅。爆心地に設置されている門の一部が残ったのみでした。

この石像を見るだけでも威力がわかります。

この後、福済寺に行きました。

最初見たときは、びっくり( ゚Д゚)しました。正直、どこかの新興宗教の施設?

とも思ったくらいです。

でも実は、これは観音堂です。

何でこのスタイルになったのかは不明ですが、実は長崎には4つの福がつく寺院があります。そのうち、この福済寺だけ、被爆の被害をまともに受け、当時国宝であった建物をはじめ全てが破壊されました。

その後、原爆慰霊・戦死者を弔うために再建されたのが現在の寺院です。

中は、凄く静かで、沢山の遺骨が納められています。

見た目で判断してはいけない、例といえます。

それにしても、ちょっと不思議な感じがしました。実物はかなり大きい建造物です。

 

そして、最後がコルベ館です。

大浦天主堂の下にあります。

この記念館は、アウシュビッツ収容所にて、殉死された「聖コルベ神父」に関する記念館です。凄く小さい記念館ですが、十数名見学に来ていました。

コルベ神父は、本来、死を命じられた青年の身代わりとしてナチスにより処刑されました。自分は、小さいころから何故か、この神父に関心があり、気にはなっていましたが、ようやく来ることが出来ました。(多分、小さいころ神父に関する写真をなんかの本で見たことがあったのではないかと思います。)

 

コルベ神父です。

この神父は、浦上のこの記念館のある地で、修道院を開き布教活動などを行っていました。(この記念館の中に当時設立した修道院の建物の一部(煙突)が保存されています。)その後、祖国へ帰国。布教活動を行っていましたが、当時出版していた書物が、ナチスに批判的である等の理由により逮捕。最後は処刑されました。

凄く重たい言葉ですね。(;'∀')

自分にはとても言えない言葉です。

今の私腹を肥やしている政治家や起業家たちに聞かせたい言葉です。

こちらが、現在の修道院です。

こちらに聖コルベ記念館が別であります。

今回は、時間の関係で行くことは出来ませんでしたが、今度は行ってみたいと思っています。

最後に長崎空港を離陸するときの動画を掲載します。

 

 

 

今回の旅行は観光旅行だったのですが、きづいてみたら、巡礼の旅みたいになりました。

長崎という地の特色なのかもしれませんが、歴史的な背景なども鑑みますと、観光地というよりは、巡礼の地なのかもしれません。