伊豆半島の港湾都市・下田で印象深く見たのは、ある芸妓(げいぎ)の記念館だ。下田は日本を開国させた米国のペリー提督の上陸場所であるとともに、駐日米国公館が最初に開設された場所としても有名で、開国と近代の記憶をとどめる施設が多い。芸妓「おきち」の記念館も、その中の一つだ。おきちについての公式の記録は、初代米国公使タウンゼント・ハリスに3日間仕えたというものが全てだ。ここに数多くの物語を付け加え、おきちは「国のために犠牲になった悲劇の女性」として劇化された。日本が世界との最初の対面をどれほど思い出にしたがっているか、察することができる。
日本で征韓論問題が起きたのは1873年のことだ。韓国史の教科書は、日本がこのとき韓国併呑まで目標を定めて武力を通して一直線に押していったかのように記述する。結果は正しいが、内容は違う。征韓論問題は内戦(西南戦争)まで経る中で、武士の旧勢力の退場と外交を重視する新勢力の台頭に帰結した。日本の国際化に強い動力を提供した事件だ。韓国の記述は、日本の新勢力がその後、巨大な国際外交の舞台においてどのような手法で韓国を飲み込んでいったかを教えることができない。
日露戦争の初期、フランス紙「ル・プチ・パリジャン」に載った有名な漫評がある。ちっぽけな日本人と体格が3倍くらいあるロシア人がリングで向き合っている。リングの床には北東アジアの地図が描かれている。ロシア人は満州と韓半島北部、日本選手は韓半島南部を踏んでいる。観客席の前列には大柄な英国人、次の列にはフランス人とドイツ人が座っている。さらにその次の列には米国人が立っている。競技場に入ることもできず、テントの上からのぞき込む中国人の様子が哀れだ。

当時、日本は英国、ロシアはフランスと同盟を結んでいた。英国はさまざまな手法でロシア艦隊の戦力を枯渇させた。こっそり薬を盛って選手を弱らせた後、リングに上げたようなものだ。フランスは動かなかった。フランス参戦の可能性があったなら、日本は戦争を夢見ることはできなかっただろう。韓半島の運命も違っていただろう。フランスはなぜ参戦しなかったのだろうか。同じ時期、フランスはモロッコを巡ってドイツと衝突していた。英国の支持が必要だった。これを契機として英国とフランスは、1904年に敵対関係を清算する、いわゆる「英仏協商(Entente)」体制をつくり上げた。英国の同盟国にやいばを向けることはできなかった。
日本が英国と同盟を結んだのは1902年だ。実権を握っていた井上馨は「拾い物」だと言った。だが日本には、地球の反対側でチョウが羽ばたくのを鋭く読み取る卓越した外交官がいた。国際外交の力学変化を神業のごとくつかみ取り、敏速に反応した。日英同盟でロシアを孤立させた後、戦争に突入した。日本海軍は韓国の鎮海基地でロシアを待ち構えた。作家の司馬遼太郎の著書『街道をゆく』には、李舜臣(イ・スンシン)鎮魂祭を開く日本海軍の様子が出てくる。戦場へ向かう軍人らが李舜臣に向かって礼を尽くしたという記録もある。かつての敵将に対し礼儀を備えることで、戦勝を祈願した。征韓論問題もモロッコ危機も知らない韓国は、李舜臣の価値すら日本よりも理解していなかったのだ。

外交史で見れば、韓国は1907年のハーグ会談(第2回万国平和会議)まで息も絶え絶えだった。韓国史の教科書は、ハーグ密使事件を高宗の反日抵抗と独立外交の出発点と見なしている。李儁(イ・ジュン)の悲壮な自決神話という形でも伝承されている。ハーグの特使はロシアの公式な招待に基づくものだ。ロシアは韓国独立を議題に上げ、日本を圧迫しようとした。この試みが成功していたら、名目上ではあっても韓国の国号はいくらか維持できただろう。だがロシアは韓国カードを途中で諦めた。ロシア革命で、再び戦争を起こす余力を失ったからだ。バタフライ効果を持ち出すならば、1905年1月の「血の日曜日」で流されたロシア人民の血が韓国の運命を決定した。韓国は撤回の事実も知らなかった。ロシアは英国と協商体制を構築し、日本とは満州の利権を分割する協約を結んだ。英国とロシアが繰り広げた「グレートゲーム」は、英仏ロ日の4カ国協商体制という形でけりがついた。韓国の味方は消えた。韓国は外交で滅んだのだ。
今、北東アジアのリング上では中国選手と日本選手が向かい合っている。米国のバイデン大統領の視線で見れば、「専制政治」対「民主主義同盟」の対決だ。最前列に米国人が、その後ろにはオーストラリア人とインド人が座っている。英国人がドアを開けて入ってこようとしている。韓国はどこにいるのだろうか? 韓国だけのリングで、三流の日本人を連れてきて「反日」の拳を放っているのかもしれない。それならそれとしよう。重要なのは、米中が繰り広げる「グレートゲーム」に日本が加わり、中心的な役割を果たしているという事実だ。さらに重要なのは、韓国は日本が何をしているのか知らないだけでなく、知る価値も感じていないということだ。
安倍政権の韓国政策には逆説的な部分があった。政権8年の間、終始関係が良くなかった韓国に外務省のエリートを集中的に配置したという点だ。親韓・嫌韓とは別に、自国の利益を重視する有能な外交官という印象を受けた。駐米日本大使をはじめ、この外交官らが各所で何か新しい枠組みをつくっていることだろう。気になりもするし、やや怖くもある。
鮮于鉦(ソンウ・ジョン)副局長
・・・日本を貶めるような記事内容でないばかりか、むしろ上手く立ち回った日本を羨むような内容だったので、珍しくて取り上げた。
主旨としては自国の韓国の対応を批判するために、対比として日本の世界に対する対応が持ち上げられている格好になっている。だからといって、「日本スゴイ」と悦に入らような、とてつもなく頭の悪いことが言いたいのではない。
冷静に外国との対比で自国の批判ができるような、こういうまともな人が増えれば、韓国はもっとマシな国になるだろうということが言いたかった。その分自爆が減るので指差してわらうことは減るだろうが。