私は

思った事をとりあえず

しまい込む性質


母は

全部口から出す。

心で感じている暇があるのかと思うくらい

すぐに全部を

出す。


それを

痛烈に感じたのが

父が亡くなった時だ。


父が

意識のある時に

最期の一言を告げたのは

私にだった。


そのあと

1時間もしないで

父は旅立った。


そこには


本当に身近なものだけが居た。


私 母 夫 息子(当時高2) 娘(小5)


夫と子どもたちは

病室のベッドの足のほうに離れていた。

母と私が 父の両脇にいた。


母は

まるで ドラマか何かのように

ずっと父に向かって

しゃべり続けていた。


まるで

説明の多すぎるドラマか映画のように。


ほら

あなたも 何か言ってあげなさい。。。

って言われたって


私は

父の手を握って

顔を見つめるしかできなかった。


なんで

あんなにべらべらしゃべれるんだろう。


あ~悲しい。

あ~かわいそう。


昔からそうだった。


映画に連れてってもらったり

旅行に連れてってもらっても


あ~きれいね~

あ~○○ね~

あ~だこ~だ

アナウンサーが実況中継してるみたいに

感嘆符並べて

感想を言い続ける。


そして

決まって


あなたはどう?

どう思う?


と聞かれた。


さ~

感想文書きなさい~みたいに。。。


小さい時から

それをやられると


人間は

天邪鬼になる


私は

口をつぐんだ

しゃべらなくなった。


心に思ったことを

なんで

いちいち言わなくちゃならない?!


感動したら

心で受け止めて

それで

良くない?


結果として


ま~

うれしいいのだか

なんだか

張り合いのない子だね。。。と


言われた。


小さい頃からのことが

ぐるぐる

頭を駆け巡った。


父のなきがらをさすりながら

休むことなく

しゃべりつづける母を


心底

理解できないと思った


父は

意識をなくす前

背中が痛いからさすってくれと 私に言った。


大腸がんが発見された時

小さいガンが

開腹手術で

中で大きく広がっていることがわかり

すでにリンパ腺に転移し

末期だった。

術後

余命宣告を

母と二人で聞いた。


父には 病名は告げたが

末期であり 余命が半年から1年だということは

最期まで言わなかった。

それから

1年半

がんは全身を侵した

痛みをのがすため

麻薬を使わざるをえなかった


それでも

痛みは全部なくならない


紫色に腫上がった父の背中を

10分くらい

さすり続けた後


父は


ありがと もういいよ・・・。


と 言った。


うん。 と、私は答えた。


それが

父の最期の言葉だった。


病院から夜中に電話が来て

家族が呼ばれた時

自転車で一番早く

病室に着いた私と息子だけが

そこに居た。


それから

夫と母と娘が徒歩でやってきた。


病院からの電話から約2時間後

父は息を引き取った。


結婚して

当時約20年経っていた


実家と 私のうちは

程よくスープが冷める距離。


歩いて 5分。


まだまだ

私に 親の干渉が 圧し掛かっていたけど

かなり

開放されてはいた。


父が亡くなって


また 母との物理的距離が接近した。


20年離れていたせいか

改めて

母の異常さに

おどろいた。


夫の死のせいで

動転しているであろうことを除いても


この人どうしちゃったの??というくらい

嬉々として(語弊があるだろうが私の目にはそう映った)

弔問客があるごとに

しゃべりまくっていた


母の横で

私は押し黙るほかなかった。


黙っているからといって

私が

何も考えていない

何も思っていない訳がない。


母を避けることで

私は

心の平和を保つようになってしまった。