日本では記事にならない事

ヨンジュンが 韓国記者に話す事

通り一遍の 日本のメディアの報道

歪曲するから。。。とヨンジュンにあまり好かれない韓国メディア


真実は どこにあるのかなぁ。。。




タイトル | 「私がこの間インタビューを避けてきた理由」[韓国サ

投稿者 | tk3 投稿日 | 2008/07/15 23:41:23 アクセス | 5615
内容

「私がこの間インタビューを避けてきた理由」[韓国サイト]
[「○ディー京郷」2008/07/15 16:44]より。「太王四神記プレミアムイベント」終了後、BYJはキム・ジョンハク監督とともに【韓国メディア向けのインタビュー】に応じました。その一問一答は日本の各誌紙で紹介されましたが、韓国記者が拾って、日本では記事にならなかった部分を読んでみました。

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企画:チャン・フェジョン記者/文:イ・ユジン(韓流専門ライター)/写真:イ・ユジン、BOF提供

名前3文字だけで韓半島のみならず日本列島まで大いに揺るがせてしまう男BYJにインタビューした。過去3年間私生活についてのインタビューを丁重に断ってきた彼がようやく口を開いた。ドラマ『太王四神記』でその地位がさらに高まったスター中のスターBYJを日本現地で密着取材した。

<負傷とリンゲルの闘魂、『太四記』を語る>

○今回の日本訪問は短くなかった。…ドラマ撮影当時、見舞われた負傷が完治していないにも拘らず日本訪問を進めたのはNHK側の引きも切らない要請のためだった。

BYJ:100%回復したのではありません。歩くのも苦痛で、注射も打っています。ひざよりは肩のほうがもっと深刻です。1,2ヶ月ようすを見てまだ痛みが続くようなら手術するかも知れません。オンモミ ソンハン ゴシ オンネヨ.(全身痛くないところがないくらいです。) 最後の撮影を4日残した時点では座ることも歩くこともできないほど深刻な状態でした。

BYJ:撮影があと10日というところでまたケガしたので、病院に行くことはできなかったです。なぜならケガがひどいことを直感したので、病院に行けば医者が何と言うかは分かりきっていました。当然ギプスをしろと言うだろうし、それでは撮影ができないんですから。

BYJ:鎮痛剤を打ち続けながら撮影を強行しました。タニャン(丹陽)で撮影していた期間にあまりに痛くて病院へ行きました。ところがちょうど交通事故患者が入ってきて、鎮痛剤を(私に)注射してくれる医者がいなかったのです。結局私が自分でリンゲル注射をしたんですよ。

自ら腕の血管を探して、刺してはまた刺した。当時の負傷後の苦痛がどれほどのものだったのか斟酌できるエピソードだ。

BYJ:クッテヌン チェジョンシニ アニオッソヨ.(その時は正気ではなかったですね。) 今にして思えばどんなふうにしたかも覚えていません。どこからそんな勇気がわいたのか…。勇敢に6回刺した後、やっと成功しました。(笑)

注射する場面をマネージャーがカメラで撮影したりもした。後で見れば普通の場面ではなかったはずだ。まるで悪いヤクを打っている場面かと誤解されるかも知れないので、絶対に流出するなとBYJはタンソグr ヘッタ.(団束。管理した。) 彼は記者にもこのエピソードについて「ヤk (薬) という用語を入れて刺激的に書かないでくれ」と頼んだ。

キム・ジョンハク監督はそんな彼を正直な俳優と評価する。彼は自分が演技に満足できなければ、監督がいくら「OK」と叫んでももう一度撮らなければ気がすまない俳優だ。BYJの「タシ ハンボン カジャ」ということばにおびえたスタッフたちが全員口をそろえて「OK!」と叫ぼうと合意したこともあったという。

BYJ:正直な俳優という評価は本当にありがたいです。そういう評価は私が演技が上手くないためかも知れません。タムドクの感情を自分で感じられなければ、きちんと表現できないと思うのです。正直に生きていくことが演技でも、実際の人生でも本当に大事なことだと思います。

わが国のドラマ制作の条件下では、時間の関係で100%感情に没入できなくても1,2場面はそのまま通してしまうのが現実だ。しかし完璧主義者BYJはワンシーンでもタムドクにならなければそのままで済ますことはできなかった。(続く)

<「不和説」、「韓流の平価切下げ(devaluation)」…記者に物申す>

BYJ:みんな記者たちのせいだと思いますよ。ウリチームは何も問題はありません。パク・ソンウン、イ・フィリップにとってはぼくが長兄です。実の兄弟のようにつきあっています。監督とはいっしょにタバコを吸えるほどに親しい仲です。

この間胸にためていたことばをぶちまけた。やや興奮した気色で。それなら記者にだって言いたいことがある。噂を完璧に寝かしつけられるのは本人だけだ。

BYJ:インタビューを避けていたことは認めます。ですが、私のことばの意図を心で受け止めて記事を書いたらいいのにと思います。どうか歪曲しないでくれたらよかったのにと。それに「韓流」という語を記事に書くのはもうこれくらいにしたらと思いますね。

彼は自身に向けられた記事中、「イrボネ ムルブr クロッタ(日本に膝をついた)」というピハジョギン(卑下的-。自分を低める)表現さえ見た。結局インタビューを受けても本心が通じないどころか、ひたすら刺激的な記事ばかり出てくるだけだと判断した。

BYJ:記事が国内だけで読まれるのならまだいいとしても、これお分かりですか?韓国の記者が記事を書けば、日本を始めとするアジアの記者たちがそれをもとにさらに刺激的な記事を書くんです。

また彼は韓流危機論をあげつらうより、質の高いコンテンツ(を産み出すこと)への悩みの方が先だろうと主張した。

BYJ:私たちはもう「アジア流」を作る時だと言ったのですが、そんな話は書いてくれもしません。韓流はすでにアジアへと拡大して行っている状況です。不調だと言うよりも、良い方向に導いて行く記事が必要だと思うんです。

【3年ぶりのマスコミへのインタビューと言いますが、実は2006年に「GQコリア」誌にインタビューを受けていますね。その時BYJは「本来内側に曲がるべき腕がどうして曲がらないのか?(身近な者に味方するのは当たり前の話だという韓国の諺から)」と婉曲に述べつつ、アジア流の展望をはっきり示していました。】

日本でながめた彼はただの「俳優ヨンサマ」ではなかった。「韓国人BYJ」だった。日本人はBYJを通してハンググr パラボゴ ハンググr インジョンヘッタ.(韓国を眺望し、韓国を認定した。) それだけに韓流を超えたアジア流を作る時だという彼のことばが切実に胸に迫ってくる。