今日のアートブックフェアといい、なんだか自分の今の美術に対するスタンスをゆさぶる。。実は自分はデザイン科の中でもアートとは遠いいところにいたんじゃないか、という感じもする。
まあアート作品を4年間作ってましたー!なんてことはほぼしてないわけで。というかそんな事言える様な事は一切してなかった訳で。
おっけい、これで完成、僕の作品だよ、判らなかったら理解しないでいいよ!みたいなのがアートみたいな単純な思想が根本にあったのもあるけども、さて自由に表現していいって、じゃあ完成ってどうやってきめたらいいの?自分で?なんて思ってたのも事実。
むしろそれでよく芸大に入ってたなあとも思うんだけども。。自由にりたいことを表現、っていうのが課題と平行してやって行くことであってやってる人はスキルをみがいてて、課題が全てじゃなくて、その積み重ねがしっかり実を結んでた人も多かったなあ。
自分の場合、課題があっての、っていうなんかいかにもな大学生だったのかな、とか思う。それ以外に事務所でバイトしてそれを課題にいかして、って。褒められるのだけどもやっぱり、卒業してみて、それだけじゃないのかなあ、ってやっぱり思う最近。
自分が美術に行ったきっかけというのも「褒められたい」という感情が大きくて、今もそれが変わらずある気がする。。すぐ認められたいとか、褒められたいとか。だから認められなくていい、とか、俺は俺のやりたい事を表現する!とか凄いなあと思ってしまう。僕の場合すぐ顔色をうかがってしまう。
ものをつくるときに自分の中で、これで完成!って自分で決めるのが一番難しくって、やった事のないことならなおさらでそれがいいのかわるいのか、完成してるのかしてないのか、それを決めるのは自分な訳で、人からの意見や批判によって自分の中で基準が出来て完成度が上がってくのかな。。
だからきっと最初の作品は数年後よりしょぼいし、恥ずかしい。でも、そのときやらないと数年後後悔する。いつでも初めてに戻っていろいろアドバイスをもらえるし、その姿勢にいつでも戻れる様にしないといけないし、それが柔軟性なのかもしれない。そもそも、やらないと、なんて思わない。きっと。
表現してみたいと思った事はやってみる、続ける、教わる姿勢に戻る、続ける、すぐには褒められない、何度もテストしてみる、分析する、参考にしてみる、それでやっと、ひとつのものができるのかなあ。
そう考えると、あのアートブックフェアにいて疲れる理由もなんか判る気がする。。あの一冊一冊に大量のバックグラウンドがあって、かたちになってる何倍もの量の思考と労力が詰め込まれているのがあんなにすしずめになってるわけだしなあ。
自分のやってきた事を続けるのも大切だし、やったことないことを始めるのも大切だし、両方続けるのが大切で大変。でもやりたいなら何かを削ってでもやらないと。いまできるならしなくては。自分に出来る事って何だろう。
自信を持って僕はコレを表現して行く!なんて、とはいえ今言えるわけないな。それを探すためにやってるんだった。これからどうしていきたいかも実はまだ決まってないし、何の分野で?と言われてじつは答えられない。それって覚悟が決まってないだけなのかな。
なんだかキラチュンを聞いていやに考える様になったのはまじめな話。大人になった、、そうか、おとなだもんなあ、、夢、、かあって。毎日を過ごしてる中で、流れにまかしてたら夢にたどり着くのかなあって、笑われそうなことを普通に考えてる。
流れにあがなうから夢にたどり着くのか、身を任せるとつくのか、そもそもそんなの考えなくていいのか。たどり着いたらあとはどうなるのか。。たどりつかないから夢なのか。
とりあえずなんでも3年続ける、そこから考えようって決めてるのだけど、ちょいちぃなやむものだなあ。。こまつた。
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