久しぶりに昔のブログを読み返してたら、やはりすっかり忘れて生きていることに驚くばかりです。
10年前の私、こんなこと考えてたんだなぁ。↓
別人のようにかわいく思えてしまう私は、
おばさん街道まっしぐら、ということかしら😅
この時、すごく辛かったのを思い出しました。
でもその後、まだまだ辛い波がきますけどね。。
この時は、自分に対しての悩みだったんですよね。
自分はもともと表現者だったけど、
そのことが仕事では邪魔になって折り合いの付け方がわからない。というような内容で悩んでいました。
10年後の私から言えることは、
自分が表現者であると思えるほどの部分、それが仕事の成果として滲み出ていることは、完全にあなたの“良さ”なので、そこを0にして相手が気持ち良くなることをするのは、「間違えている」と今の私は思います。
結局は、相手が想像している以上のものを出して喜ばれる、興奮させる、というぐらいのほうが、理想的なんです。
それには、心をロボットのようにして相手の求めるものを出すようにしてたら、絶対に出来ないことなんですよ。
だから、表現者であることを辞めたらいけないし、辞めたところで解決しないから病むんですよ。
ちなみに、10年経った私は、自分のことを「表現者」とは思ってないですけどね。
(こんなこと言ったら10年前の私はまた病みそうだな。。)
今はそんなことは考えてはいない、というのがより適切かもしれません。
じゃあ何者になったの?と仮に聞かれたとしたら、何て答えるだろう。
そうだなぁ、
何者か?とも考えてないよ。かな。
それだとアレなので、
説明すると、
10年前の私が「表現者」と捉えた部分は、
今の私も相変わらず持ってはいると思います。
それが何か?を読み解くと、
「意図するものを感覚的に伝えていく」という意味になるかと思いますが、
最近はソレに言葉も沿えて伝えていく楽しさにも目覚めてまして、
より伝わりやすくなったような気がしてます。
つまりですね、
10年前の私の悩みは「表現者を辞めるか貫くか」だったと思うのですが、
その答えは、正確に言えばどちらでもなく、
「言葉で説明する力をつける」
ということが必要だったわけです。
それによって、「表現者=意図するものを感覚的に伝えていく人」のままでいて良かったんですよ、うまいこと説得できればね。
両攻めで仕事できるデザイナーを目指せば良かった。
それが、10年後の私のアンサーです。
悩み方が下手だったんだな。
と言っても10年経った今だからわかるわけですけども。
まあ、こんな自分があって今の自分がいるから、
よく頑張ったねヨシヨシ。ですな。
