ほろ酔いアナログ映画雑話

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”why not”とは、日本語で言えば「よかろう」「もちろんさ」となる。

 

例えば、「Let's go」(行くか)と言われたら

「why not」(もちろん行くとも)とこうなる。

 

行先は、殆どの場合、戦いの場である。

 

日本の場合は、

侍であれば、「参るか」「お供させていただきます」

ヤクザであれば「(無言)」「ご一緒させていただきます」

 

私が党首を務めるペキンパー党では、

このような男たちをwhy notな男たちと呼んでいる。

我々、ペキンパー党が結党されたのは、

『ワイルド・バンチ』が公開された1969年から

10年後の1979年だった。

党首である私がこの作品に出合った年である。

 

監督がサム・ペキンパーだからペキンパー党となった。

 

why notな男は、殆どが、アウトローか反体制派である。

 

つまらない信条や束の間の友情など

世の中の人々が、取るに足らないと思うもののために戦うのである。

 

しかも、生きるために戦うのではない。

散り花を咲かせるために、戦うのである。

 

だから、殆どの場合は、ラストで派手に死ぬことになる。

稀に、生き残ることもあるが、次なる戦場が

待っていることが暗示される。

 

アメリカンニューシネマにも、

why not な男たちがよく登場する。

『バニシング・ポイント』

『俺たちに明日はない』

『明日に向かって撃て』

などである。

 

日本でも、

任侠映画でよく見られた。

一連の健さん作品。緋牡丹博徒シリーズである。

 

ペキンパー作品では、2作目の『昼下がりの決斗』(1962)から

この傾向が顕著になる。

 

わが党の名誉党員であるL・Q・ジョーンズ氏は、

「ペキンパーは、14本も同じ映画を作った」と証言している。

氏は、ペキンパー映画常連の悪役である。

 

しかし、残念ながら、わが党は衰退の一途を辿っている。

タランティーノにでも、闇献金するしかない。

 

金持ちの党員募集中。