3週間の試し出社が始まりました。

試し出社は、無給で、いろいろと制約があります。

・遅刻だめ
・欠勤だめ
・残業だめ
・生活習慣記録表の記録
・運動習慣の継続
・毎日上長に作業報告メール



職場は、私の意向に沿って休職前と同じプロジェクトに戻していただけることになりました。

迷惑かけた人に挨拶周りもしながら
忠実にすべての制約事項を守りました。

徐々に現場の仕事も割り振って頂きました。

会社から家まで歩いて帰ったりしてウォーキングも継続させました。





そして3週間後、
医師からの復職可能診断書をもらい

産業医面談。







復職OKOK

もらえました。


ちょうどそれが4月初めと重なり
気持ち的にもちょうどよかったです。




ただ、正式な復職はできるものの、


当分の生活習慣記録表と、定期的な保健医面談はありました。


そして月20時間以内の残業制限。

フレックス勤務も不可となりました。







つづく
休職期間2週間後、


心のケアを終えた私は、


上司に復帰したい旨を伝えました。



すぐに復帰できると思っていた私は

会社の復職フローを見て驚きました。




上長面談→資料作成→保健医面談→産業医面談→3週間の試し出社→保健医面談→医師の復職可能診断書→産業医面談→正式な復職(1年間の就業制限あり)




たった2週間、心のケアを行っただけでも

会社からの信頼を失ったと見られてしまい

会社の信頼を会得しなくては復職が認められないのです。

ちなみに、私の職種(SE)の特徴として他の職種に比べてうつ病を発症する割合が高いです。

会社として再発防止に力を入れた結果、復職の壁がとても高くなったのだと考えられます。



まずは上長と面談し、

会社に提出しなくてはいけない資料の作成。


・発病状況報告書
→発病した原因、発病した時の仕事内容、人間関係、家庭状況、再発防止策等なにもかも書かなくてはいけませんでした。
私もうつ病と診断されてしまったから、他の人がかかるうつ病と変わらないんでしょうけど、
大きい文字で「流産」(それ以上は聞くな)と書きたい気持ちを抑え、
ちゃんとカウンセリングを受けて休職したことを後悔してる旨を書きました。

再発防止策のところは、
また流産したら立ち直れるかなんてわかるわけないやん、と思いながら書きました。





・生活習慣記録表
→休職していた2週間の間のタイムスケジュールを記録しなくてはいけません。
起きた時間、朝食食べた時間、運動した時間、寝た時間、、、、


大の大人なんだから・・・ほっとけ!!!!
という気持ちは、うつ病と診断された引け目があるので、抑えざるを得ませんでした。。。




そして数日待って、保健医と産業医面談。

すぐにでも復職したい私はここで肩透かしをくらいます。


生活習慣記録表を見て、産業医が運動が足りないと言ってきました。

運動が足りないので、あと2週間毎日2万歩目指してウォーキングしてください。
2週間後に面談しましょう。


と。


なぜ、

流産して、そりゃぁショックで、
心のケアの時間が必要なだけだったのに

今までしたことない運動を強制的にさせられるのか。。。
しかも私、明らかに立ち直ってるのに。
働きたいのに。




それもこれも「うつ病と診断された」から。

うつ病は再発するから。
原因がなんでも。


こういう前程のため、流産という特殊な理由だからといって特別扱いはできないのです。




その後、2週間。
歩きました。人生で一番歩いた2週間です。
電車に全く乗れませんでした。
2万歩歩こうとすると3、4時間歩かなくてはいけないからです。


ただウォーキングはとても気持ちがいい。
歩くのは好きです。

妊娠がわかってから流産したあともずっと家に引きこもっていたので、体力づくりにはとても有効でした。

強く産業医がウォーキングを強制してきた意味がよくわかりました。




そして2週間後、生活習慣記録表をもとに


運動習慣を証明して


ようやくようやくようやく
3週間の試し出社が許されました。



つづく
ほぼ生理終了。
便柔らかめ。

体調、良好。
夫婦仲、良好。


子どもほしぃなぁ〜

今月できるのかなぁ〜




明日の大学サークル仲間の飲み会で、

無神経な後輩に、


子ども作らないんですかぁ?



とか聞かれたら笑って答えられるかな。。



とくに独身の、とくに後輩の、とくに男は、


マジで無神経。



劣化しましたね
老けましたね
太りましたね



とか言ってくるから最近、大っ嫌い。笑




明日、また悪口言ってくるかどうか・・・




報告しやす。





先生
「では、−1を0に戻す作業をしましょう」


「・・・どうやったらいいんでしょう」


先生
「これまで、
流産に対して、なにか気持ちの整理をつけることを行いましたか?」


「・・特には。妊娠検査薬もエコー写真も雑誌もすべてひとつの箱にいれて封印しました。」


先生
「辛い作業になるかもしれませんが、それを開いてみましょう。
そして、天国に行った赤ちゃんに対して手紙を書いてみませんか。
できれば、ご主人にも同じように手紙を書いていただくと良いと思います。」






こんな提案を受けました。



手紙・・・。




思いつきそうで、思いつかなかった



天使になった私の赤ちゃんへの手紙。

書きたい、伝えたい、

提案された瞬間にそう思っていました。




翌週、先生にその手紙を読むことになりました。

思い切り泣いたこともあり、その日はグッタリ疲れてしまい、手紙は明日書くことにしました。



しかし、翌日、手紙を書こうと試みますが

思い出すとつらくてつらくてどうしようもなくなってしまうので、手紙を書く作業になかなか取り掛かりませんでした。


診察を翌日に迎えた日、


さすがに今日書かないと、と思い



テレビを消音にして
めいっぱい泣きながら書きました。
これでもか、というくらい泣いて泣いて
手紙を書ききりました。





夫もできれば一緒に、

という先生の助言を受けて



夫に打診してみました。



嫌がるかなぁ〜、嫌がるなら一人でいこうと思っていたのですが
 
意外にも快諾。



手紙は文句言いながらも書いてくれました。











そしてカウンセリング2回目の当日。

手紙を読み合うことに。


私から読みました。

やはり泣きながら読むことになったのですが、


読みながら私は気づきました。

"涙の量が変わった"






初めてのカウンセリング、

手紙を書いたとき、

ふとした瞬間、




今までは

常に涙のタンクは満タンで、

何かのきっかけで涙がすぐ溢れて溢れて止まらなくなる、


そんな感じだったのに



手紙を先生と夫の前で読んだときには


もう満タンのタンクではないことに気づいたのです。


涙は出ましたが、溢れて止まらないということはなく、


最後のほうは、泣かなくても平気なようになっていました。






夫は、手紙、というより

日記みたいな感じ。

でもそんな風に感じてたんだなぁと初めて聞くこともあり、夫が一緒に来てくれてよかったなと感じました。










カウンセリングってそんな劇的な変化なんてないと思っていましたが、


この対策方法は、当時の私にとってはぴったりの対策でした。


本当に心が楽になりました。



何事においても
つらいことがあったとき、

向き合う時間をあえて作る、

というのは大事なことかもしれません。





ただ、私が受けたカウンセリングですが

自由診療なので、診察代はべらぼーに高かったです。。。








ほぼ出血終わり。
体調良好。
昨日よりはマシな下痢気味。



昨日、母から電話があった。


義母が癌により、腸閉塞となってしまいましたが抗ガン剤が効いたおかげで

今度腸閉塞の手術ができることに。



義母の体調が危なかったので、

妊活を中断していたことを知ってる母が



「そろそろ再開したら?」


と促してきた。




「もう再開してるよ」



と答えたけど

ごめん、先月はダメだったとか
言えるはずもなく。。。



お願い、触れないで。


という思い。




お母さんも

「こればっかりは神様とのタイミングだからね」

とちょっとフォローするように言ってくれましたがなんだかプレッシャー。。。


今月こそは!!


お願い!神様!
2週間の休養期間は、
実家に帰ったりもしましたが、
基本的に何もせず、ボーッとして過ごしておりました。

2週間しか休めない、


と思っていたので

できるだけ心を空っぽにして過ごしておりました。







そんな中、母から提案が。


私の母は、いのちの電話のボランティアをしています。


そこで、知り合った精神科医の先生が、
薬を使わずカウンセリングで根本的な治療をはかる、という方針の先生で

母が求める治療方針と合致。




その先生は東京にクリニックがあるそうで

私もカウンセリング受けたらと母から勧められました。




ただ、私としては、




うつ病じゃないのに、、、
(診断はされたけど・・)




という気持ちがあり素直にカウンセリングを受けようとは、思えませんでした。







ただ、休養期間の期限である2週間近くになると

心に変化が起きてないことに気づき、焦り、





今まで通り過ごしていたのではダメだと思い立ち、


カウンセリングを受けることにしました。












カウンセリング当日。

先生は、とても穏やかな口調の方で

初めてのカウンセリングで緊張しましたが

話していくうちに緊張は解けていきました。




先生は、


「どうしてそう思ったの?」


と、全ての私の行動や思ったことに対して

この質問をしました。




このときにはもう流産の話は、夫とも母ともしていませんでしたので、

先生に話すときには、久しぶりに流産の話を一からしました。
 

話すだけで涙が大量に出てきました。



話を聞いてもらって、

なぜそう思うのか、
考えたこともないことまで質問をされたことで、



わかったことがありました。











私は、2人姉妹の妹で、歳が6つ離れて生まれました。

いとこの中でも一番小さくて可愛がられ
母も専業主婦だったこともあり
愛情を独り占めできてわがままに育ってきました。

おかげで小さい頃からとても自己肯定感が強く生きてくることができました。



志望校には落ちましたが、それなりの大学にも行けて
やりたい仕事じゃなくてもそれなりの会社に就職し、
大好きな人とも結婚できました。



そこからの流産。

夫も母も、義母ですら誰も私のことを責めなかったのに


私だけが私のことを責めていました。

無意識に自分を否定し続けていたことに気づいたのです。





私が先生に伝えたその時の心境。


「妊娠前が0として

妊娠して1になった。

流産して、0に戻ったんじゃなくて

−1になった。

また妊娠しない限り0には戻れない。」




先生は、すべての話を聞いたあと


「では、−1を0に戻す作業をしましょう」



と提案しました。






後編へ。


出血少なし。

体のだるさなし!久しぶりに快適。
 



なのに、めっちゃ下痢。

ホルモンバランスうんぬんとかじゃなくて

めっちゃ下痢。



マウントレーニア飲むと下痢気味になる。。
好きなのに。


それのせいかな。
腹痛を伴う下痢だから。







妊娠したカモって🦆思わなくなったおかげで


めっちゃ仕事に集中できてます。。。







D2よりD1のほうが量が多い。

お腹も痛くない。




でも、なんか気持ち悪い。。。




生理中じゃなかったら、絶対つわりや、と思いそうな気持ち悪さ・・・。


急にまた暑くなったからかな。



なんなんだろう。


夏休みあたりからずっと気持ち悪い。



うぅー。

1週間も休めば、回復するだろう、


と自分でも思っていました。



翌週の月曜日、普通に会社に行こうとしました。




だけど、心の状態は変わらず。。。





体は会社に行ってほしいと行動するのに

心は行きたくないと拒みます。




心と体がバラバラになりそう、



そんな感覚。








そんなバラバラになりそうな自分を守るために

休みたい、休職したい





ということで私の頭はいっぱいになりました。






会社を正式に休職するには医師の診断書が必要です。







そう思い立った私の行動は早かった。








会社に行こうとした足で近所の心療内科へ向かいました。


そこは耳が遠い、年配の医師がいました。


うつ病診断のアンケートに素直に答え、

診察を受けると


「まぁ、うつ病だね」

と言われました。

診断書が欲しかった私は、ここでホッとし

2週間休職の診断書をもらいました。



そして、薬を処方されたのです。






薬をもらい、家に帰った私は

少し冷静になったのか、

自分で診察を受けたにもかかわらず
ここでパニックになりました。









私は診断書がほしかっただけ・・・
なのに正式にうつ病と診断された・・・
薬まで処方された・・・



「私は本当にうつ病なのか?」
「薬を飲まないといけない精神疾患なのか?」

 



私は当時、


診断書がほしい、正式に休職したい、

の意味がわかっていなかったんだと思います。


今思えば、もう少し冷静に

有休も、積立年休もあるのだから



心のケアで休みたい、



と言えればよかったのに。

診断書に頼るという暴挙に出てしまったのです。






母に泣きながら電話し
パニックになってる状態を伝え

「私は本当にうつ病なのか」

と聞きました。



母はパニックになってる私を落ち着かせるように


「うつ病じゃない。
流産したんだから落ち込むのは当たり前。
そんな状態で診断受けたらだれでもそう診断される。普通のこと。異常じゃない。

会社には、診断書は提出して休みはもらいなさい。
ただ、精神科の薬は依存性が高いから絶対に飲むな。」

※医師の指導とは異なる個人の見解です。


と言ってくれました。

母に従い、診断書を提出しに

上司に会いに会社へ向かいました。






直属の上司、課長に、部長も来て


面談をしました。



ここでは泣いてしまい、やはり、今思えば

普通ではなかったと思います。






こうして私は、2週間の休職をいただくことができました。







しかし、

その代わりに私は会社からの信頼を失うことになったのです。





つづく。


ここからが話しづらい仕事編です。。
もっとうまくやれたんではないかと思って今でも少し後悔することがあります。

思い返すと後悔で胸がぎゅーとする。。。



まず
私の会社の直属の上司は、女性(独身)で、

管理職になる前からの付き合いで
お昼も一緒に食べるような仲だったということもあり、卵黄嚢が確認できた2回目の診察あたりでもうすでに報告していました。



会社を早退した日、
流産したと上司に報告。

そのまま、年明けまで休んでいいと言ってくれました。




毎年お盆とお正月は実家に帰っていましたが、
今年は帰らず、夫と二人で過ごすことにしました。


部屋の大掃除もできたし、

心身ともに休めたはずでした。




そして年明け、


出勤しようと朝起きるも







体全身が








“行きたくない”









と叫ぶ。。。








だけど、具合悪いわけでもないので

休む理由が見当たらず。




体を引きずって行きました。







プロジェクトは、その頃から炎上していました。
それなりのポジション。

それなりの責任。


自分が解決しないといけない課題。

だけど自分だけでは解決できない問題。


年末に片付けれずに残った課題はもちろんそのまま残っていた。






仕事しながら


「なんでこんなこと私がしないといけないの」

「私は心身ともに傷ついてるのに」

「なんで通常通り働かなくてはいけないの」


誰に対してか分からない被害妄想?みたいな気持ちが発生し、仕事もままならず。。。



その週は、ほぼ残業せずに帰りました。



翌週の月曜日、


また同じように




体が


“行きたくない”








と叫び、私はそのまま1週間会社を休みました。




つづく。