河口湖で炎天下、最高の涼でした。大石公園で
冷えた「ところてん」を食べました。一気に二食。ギン冷えビールと一緒に。
うま!
かき氷も良いが トコロテンだね。
糖分とりすぎず 塩分も補給できるし お酢がまた良い。
ばて気味の体が シャキっとしました。1食200円でした。
河口湖駅から五分位歩く。うなぎの文字が目に入る。もう1時近いので昼食場所として良いかもとうなぎ店に入る。
「川津屋」の看板。暖簾をくぐると4組10人くらいの客が入っていた。店内は歴史を感じるが、ややガタが来ている感じだ。まず変な所に目がいってしまった。
カウンター下の「足置き」だ。
四角い竹だ。人工か天然かは判別できないがおそらく人工だろう。どっちにしても普通の木材や竹に比べて高級であることは間違いない。(店内施工はかなり贅沢だった?)
メニューを見ると
うな重、蒲焼き、白焼きの三種類。
白焼きを注文する。その前にビールを注文するとキャベツの塩もみが出てくる。良い塩梅だ!
白焼き。
臭みも全くなく 美味しくいただきました。
「川津屋」の看板。暖簾をくぐると4組10人くらいの客が入っていた。店内は歴史を感じるが、ややガタが来ている感じだ。まず変な所に目がいってしまった。
カウンター下の「足置き」だ。
四角い竹だ。人工か天然かは判別できないがおそらく人工だろう。どっちにしても普通の木材や竹に比べて高級であることは間違いない。(店内施工はかなり贅沢だった?)
メニューを見ると
うな重、蒲焼き、白焼きの三種類。
白焼きを注文する。その前にビールを注文するとキャベツの塩もみが出てくる。良い塩梅だ!
白焼き。
臭みも全くなく 美味しくいただきました。
本日(5日)辞任した松本龍氏の発言から
九州の人間だから東北の何市がどこの県か分からない。
→九州とは関係ない 本人の問題。
九州の人間は、本人が(部屋の中に)いてお客さんを招きますよ。出てきて何も言わなかったからそういう行儀の悪さというか、長幼の序とかをわきまえたほうがいいと話しました。映像を見てください。おかしかったらおかしいといってください。
→だからおかしい。
私は九州の人間ですけん、ちょっと語気が荒かったりして、結果として被災者の皆さんを傷つけたということであればおわび申し上げたい。
→このセンスのなさ。九州の人間ですけん と ぐらぐらする
私も博多の人間やけんね、語気が荒かったりした。ですけど、相手が知事ですから。市町村、被災者との話ではこういうことは申し上げないし、真剣にコンセンサスを得ていただきたい、さまざまなことで住民合意していただきたいということを申し上げたということに尽きます。
→合意形成の基本 勉強し直せや!
私はちょっとB型で短絡的なところがあって、私の本意が伝わらない部分があることはさっき女房からも電話がありましたし、反省しなければならないと思っています。このまま、まっすぐ前を向いて復興にあたっていきます。
→B型に失礼だろうが。なんでも氏素性のせいにする!どこかの首相じゃあるまい 女房に怒られた?
「あれが欲しいこれが欲しいはだめだぞ、知恵を出せということだ。知恵を出したところは助け、出さないやつは助けない。それぐらいの気持ちを持って。」
→
九州人怒れや!都合のいい時に生まれた土地を引き合いに出すような 畢竟な振る舞いが九州人かい?
ちょっと ちょっと 貧すれば なんとか
後味の悪い こと
※私は 九州出身ではありませんが 親戚が九州で 暮らしています。
九州の人間だから東北の何市がどこの県か分からない。
→九州とは関係ない 本人の問題。
九州の人間は、本人が(部屋の中に)いてお客さんを招きますよ。出てきて何も言わなかったからそういう行儀の悪さというか、長幼の序とかをわきまえたほうがいいと話しました。映像を見てください。おかしかったらおかしいといってください。
→だからおかしい。
私は九州の人間ですけん、ちょっと語気が荒かったりして、結果として被災者の皆さんを傷つけたということであればおわび申し上げたい。
→このセンスのなさ。九州の人間ですけん と ぐらぐらする
私も博多の人間やけんね、語気が荒かったりした。ですけど、相手が知事ですから。市町村、被災者との話ではこういうことは申し上げないし、真剣にコンセンサスを得ていただきたい、さまざまなことで住民合意していただきたいということを申し上げたということに尽きます。
→合意形成の基本 勉強し直せや!
私はちょっとB型で短絡的なところがあって、私の本意が伝わらない部分があることはさっき女房からも電話がありましたし、反省しなければならないと思っています。このまま、まっすぐ前を向いて復興にあたっていきます。
→B型に失礼だろうが。なんでも氏素性のせいにする!どこかの首相じゃあるまい 女房に怒られた?
「あれが欲しいこれが欲しいはだめだぞ、知恵を出せということだ。知恵を出したところは助け、出さないやつは助けない。それぐらいの気持ちを持って。」
→
九州人怒れや!都合のいい時に生まれた土地を引き合いに出すような 畢竟な振る舞いが九州人かい?
ちょっと ちょっと 貧すれば なんとか
後味の悪い こと
※私は 九州出身ではありませんが 親戚が九州で 暮らしています。
「なでしこ8強沢は釜本抜き78発」
メディアのタイトルって難しいね。
知らない人が見たらどう読むか?
女子サッカーワールドカップのドイツ大会で
日本チームの愛称「なでしこジャパン」チームが
8強(ベスト8)になった試合で
キャプテンのストライカー 沢選手が通算78ゴールを
決め 歴代得点王の釜本さんの記録を破る!!!
ということを 一行で言いたかった!というわけ。
(ちなみに 釜本さんは 男性!で、40年以上前?の記録がまだ破られていなかったことにもびっくり)
それよりも ハットトリック(一試合3得点)のほうがすごい!!!と思うが。
昔「東スポ」芸術!?に魅了されていた時期があったが、
(これも知らない人には お騒がせ以外に何も無いが)
プロレス情報だけは正確であとは(憶測 伝聞 誇張)の芸術?に埋め尽くされた新聞で 見出しだけで購買数がきまるという駅売りで勝 負!
現在も健在なのが嬉しい。
と書きながら 周囲を見回したら (今野毛のJRAファンで一杯の飲食店)
わーーー東スポ多いじゃん。そういえば
競馬ファンの間で最も評価が高いスポーツ紙だった。
東スポは「スポーツ新聞」ではないとまで言われている。「東スポ」という独立した芸術なのだ! ちょっと入れ込み過ぎかな。
メディアのタイトルって難しいね。
知らない人が見たらどう読むか?
女子サッカーワールドカップのドイツ大会で
日本チームの愛称「なでしこジャパン」チームが
8強(ベスト8)になった試合で
キャプテンのストライカー 沢選手が通算78ゴールを
決め 歴代得点王の釜本さんの記録を破る!!!
ということを 一行で言いたかった!というわけ。
(ちなみに 釜本さんは 男性!で、40年以上前?の記録がまだ破られていなかったことにもびっくり)
それよりも ハットトリック(一試合3得点)のほうがすごい!!!と思うが。
昔「東スポ」芸術!?に魅了されていた時期があったが、
(これも知らない人には お騒がせ以外に何も無いが)
プロレス情報だけは正確であとは(憶測 伝聞 誇張)の芸術?に埋め尽くされた新聞で 見出しだけで購買数がきまるという駅売りで勝 負!
現在も健在なのが嬉しい。
と書きながら 周囲を見回したら (今野毛のJRAファンで一杯の飲食店)
わーーー東スポ多いじゃん。そういえば
競馬ファンの間で最も評価が高いスポーツ紙だった。
東スポは「スポーツ新聞」ではないとまで言われている。「東スポ」という独立した芸術なのだ! ちょっと入れ込み過ぎかな。
湘南電車は黄金町(横浜市中区)始発だった。
驚かれる方も多いのではないだろうか。
1930年(昭和5年)4月、黄金町と浦賀間を結ぶ湘南電気鉄道が開通した。
当時この路線は「湘南電車」と呼ばれていたが、その後東海道本線の「湘南電車」にその座を譲った歴史がある。野毛界隈の地図でひも解く小さな歴史物語を紹介しよう。
横浜から三浦半島を一周する壮大な鉄道計画があった。
この計画は、鉄道院副総裁や南満州鉄道総裁を歴任した野村龍太郎を中心に進められ1917年(大正6年)に申請が出された。
設計者の野村龍太郎は、優秀な鉄道技術者であったが地位には恵まれなかった。17代の歴代満鉄総裁の中で最後の総裁(四ヶ月半)を除いて最も短い七ヶ月の在任期間だった。
当時の政争に巻き込まれた異例の更迭だったが、この年(1917年)が「湘南電気鉄道」スタートの年であったことも何かの因縁かもしれない。
そして土地買収が始まり13年後に「湘南電車」は開通することになるが、その歴史は苦難の歴史でもあった。申請後免許が下りたのが1923年である。1923年(大正12年)関東大震災とともに湘南電気鉄道の歴史が始まるという皮肉。
会社設立時には桜木町-浦賀の計画だったが、黄金町から桜木町の延長は実現せず、路線は急カーブし、日ノ出町駅を経てトンネルを通り横浜駅への乗り入れを果すことになる。
そして高輪 - 浦賀がつながる。これが京浜急行の前身、京浜電気鉄道である。
計画当初の幻の路線、黄金町 桜木町間の証拠が今も残っている。これが下記の地図に現れている。
大岡川添いに他の道路とは異なったカーブの道路が二本あるのがお分かりだろうか。
関東大震災が無かったら、野毛を縦断する湘南電車が、多くの人を三浦半島まで運んでいたことだろう。兄弟会社であった東急と桜木町で繋がり、(線路の規格が違ったが)渋谷から三崎まで特急が走っていたかも知れない。
驚かれる方も多いのではないだろうか。
1930年(昭和5年)4月、黄金町と浦賀間を結ぶ湘南電気鉄道が開通した。
当時この路線は「湘南電車」と呼ばれていたが、その後東海道本線の「湘南電車」にその座を譲った歴史がある。野毛界隈の地図でひも解く小さな歴史物語を紹介しよう。
横浜から三浦半島を一周する壮大な鉄道計画があった。
この計画は、鉄道院副総裁や南満州鉄道総裁を歴任した野村龍太郎を中心に進められ1917年(大正6年)に申請が出された。
設計者の野村龍太郎は、優秀な鉄道技術者であったが地位には恵まれなかった。17代の歴代満鉄総裁の中で最後の総裁(四ヶ月半)を除いて最も短い七ヶ月の在任期間だった。
当時の政争に巻き込まれた異例の更迭だったが、この年(1917年)が「湘南電気鉄道」スタートの年であったことも何かの因縁かもしれない。
そして土地買収が始まり13年後に「湘南電車」は開通することになるが、その歴史は苦難の歴史でもあった。申請後免許が下りたのが1923年である。1923年(大正12年)関東大震災とともに湘南電気鉄道の歴史が始まるという皮肉。
会社設立時には桜木町-浦賀の計画だったが、黄金町から桜木町の延長は実現せず、路線は急カーブし、日ノ出町駅を経てトンネルを通り横浜駅への乗り入れを果すことになる。
そして高輪 - 浦賀がつながる。これが京浜急行の前身、京浜電気鉄道である。
計画当初の幻の路線、黄金町 桜木町間の証拠が今も残っている。これが下記の地図に現れている。
大岡川添いに他の道路とは異なったカーブの道路が二本あるのがお分かりだろうか。
関東大震災が無かったら、野毛を縦断する湘南電車が、多くの人を三浦半島まで運んでいたことだろう。兄弟会社であった東急と桜木町で繋がり、(線路の規格が違ったが)渋谷から三崎まで特急が走っていたかも知れない。
廃業した飲食店の看板にあった「金露」このブランド名良く目にした。最近そういえば見ないなと思ったら、廃業と分かる。
最後の銘酒 といわれた“金露”(金露酒造)、大阪府堺にて1806年(文化3年)創業し灘に本拠地を移したが、平成9年1月に廃業したそうだ。
なんと 金露は、平成7年(1995)の阪神大震災によって被災し、その後その幕を閉じたのだ。
新潟地震でいくつかの酒蔵が 休業したが、その後復活しているが この311で
廃業する東北の名蔵元が出ないことを祈るばかりだ。
最後の銘酒 といわれた“金露”(金露酒造)、大阪府堺にて1806年(文化3年)創業し灘に本拠地を移したが、平成9年1月に廃業したそうだ。
なんと 金露は、平成7年(1995)の阪神大震災によって被災し、その後その幕を閉じたのだ。
新潟地震でいくつかの酒蔵が 休業したが、その後復活しているが この311で
廃業する東北の名蔵元が出ないことを祈るばかりだ。











