今回のセンセーショナルなブログタイトル、突然で吃驚しましたでしょう。
実は、3月12日の日経新聞夕刊の人間発見のコラムで見つけました。
自分自身もこの記事を拝見した時は、約40年も近くタイムスリップしたかのようでした。
1968年~72年にかけて新田次郎の小説「栄光の岸壁」が雑誌「山と渓谷」に連載され、実在のモデルとなった人物です。
本当に懐かしく昔の友人にあったかのようです。
ある程度山をやった方なら必ず覚えている名前です。
「単独行」の加藤文太郎氏、「風雪のビバーク」の松濤明氏、そして「栄光の岸壁」の芳野満彦氏です。
その松濤明氏もあの有名な井上靖の小説「氷壁」のモデルでもあり、同じ時期に槍ヶ岳の北鎌尾根を縦走中に遭難死しています。
自分自身も17歳~25歳まで、かなり密度の濃い山歩きをしてました。
最初は東北の山から始まり、関東での近場、秩父、丹沢からスタートすると、当然北アルプス、中央アルプス、南アルプスを目指し、それからさらに立山連邦、後立山、剣岳を目指しました。
予行日帰りの出来る谷川岳は、ホームグランドのように数え切れないくらい通いました。
何故かほとんど単独行、厳冬期の1月~2月だけをはずし、12月始めの富士山に登った時は初めてアイゼンとピッケルを使用し、師匠がいないので登ってくるベテランの方のやり方を真似て憶えました。
この時期の自分の憧れの人、伝説の人が芳野光彦氏だったのです。
その方が現在、75歳で画人として無為自然の山頭火の境地をいくかの如く、元気に水戸と東京を一人で行き来していると聞き、嬉しく思いました。
確か昭和23年(1948)に12月の八ヶ岳で遭難し、11日目に奇跡の生還、その時の凍傷で両足のつま先全部切り落としたと聞いています。
昭和23年(1948)は、自分が生まれた年でもあり強烈に印象に残り、自分も八ッ岳に谷川岳と同じ回数位何度も通いました。
時には吉野氏と遭難死した八巻氏が辿ったルートをなぞなえながら登った時も有りました。
まさに青春の一ページでした。
先ずは日経夕刊人間発見、山岳画家、芳野満彦氏をご覧下さい。
新聞記事はキャスナーを使うとバイト数がバカデカクなるので、デジカメで撮りました。
クリックし、拡大してゆっくりご覧下さい。
芳野氏の凄まじいほどの山への熱い情熱、その後の強烈な人生の生き様に共感を覚え、突然タイムスリップしたかのよう、あの頃の自分自身にあった潜在意識が溢れるように湧き出した来ました。
その気持ちが非常に新鮮に感じ、また自分が再度心が洗われる爽やかな感覚になりました。
この気持ちを皆様にお伝えしたく、ブログに紹介しました。
この連載は計5回、後4回シリーズでご紹介します。
いまどき、これほど徹底した山歩きをしたり、人生に向かっていった人を見たことがありません。
結構良い刺激になりますので、お楽しみにして下さいね。
乞う、ご期待!!!
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