広島で写真の仕事をしていたときに、地元の方からとある記録写真の再データ化の依頼を受けました。見せていただくと、それは二枚の白黒の航空写真でした。左にきれいに町並みが揃った広島の中心部。右に焼け野原のようになった同じ広島の中心部の写真でした。説明を聞くと、原爆投下二週間前のものと、原爆投下二日後のもので、同じアングルで同じ高さからきれいに比較できるように撮影されたものでした。

拡大しながら、広島の惨状をみていたらとあることにきづきました。

細いけれど、縦横に走る道があるのです。

よく気づいたね、それはねみんなでつくった救助、救援のための道なんだよ。みんな、原爆の毒(放射能のことか)の事は知っていたけど、みんなで道を切り開いて、一から二週間くらいで死んでいったそうだよ。

と、教えてくださいました。

今も多くの方々生きていらっしゃいます。
その方々はあまり体験したことを語ってくださいませんが、はっきりとそのときの事は体験として残っています。