今日はネットで知り合ってもう3、4年になる女の子と出会い厨をしてきた。といっても、考えてみればこの娘と逢うの、これで4回目くらいだろうか。それにしてもこの懐かしさもなんもなく、前々からずっと出会ってた感はなんなんだろう。
その女の子は、私の表の顔も知られてしまっているし、仕事も一緒にした事がある。だから、あれなのだ。もうセックスは出来ないなと思っている。思っているが、やはり逢うと、本当にかわいいのだ。服の雰囲気も前あった時とはだいぶ変わった。ふんわりと清楚系。でも中身は相変わらず、ゲスい。
「最近は彼氏と元カレしか××してないですね―」
「私絶対××美味いと思うんですよー」
「×の穴なめさせてもらいつつ××触るのが好きなんです」
「××に執着が凄いんです」
「24時間彼氏や元彼の××触ってます」
(アメブロからNGが出て修正しました。)
とまあ、そこがたまらなくかわいいのだが。女の子の日常はよく知っているのはブログやツイッターをまめに更新しているのを見ているからで、そこからはとても平和で毎日を楽しく暮らしているような生活が垣間見えた。だか、話を聞いていると、そう簡単には毎日を送ってはいない。
詳しくは書けないが、それなりに女の子はハードな人生を送って来ていた。家族関係もややこしいし、なにしろ、貧困というか。でも、その外見にはまったく貧乏くささはないし、性格だって、「壮絶人生歩みました」という気配はみじんも感じさせない。正しく、まっとうに、でも複雑に座って笑っていて、下衆い。そこがたまらなくかわいいのだが。
でも、セックスは出来ないかもしれないと思った。
そしてその子の人生のハードな事情を知れば知るほど、なぜこの子が、病まなかったのか、まったくわからない。
単純な病み方を拒否し、自然と、ふんわりと、だけど下衆に、まっとうにまっとうじゃなく生きている。
しばしば出会い厨をしていると、いろいろ大変な事になっている女の子に出会う。その女の子もそうだった。話せば話すほど、メンヘラになる理由が沢山出てくる。だが、女の子は、変な話、普通とでも言うんだろうか。
いや、もちろん、普通ではない。普通ではないけど、なんというか、単純で純粋なメンヘラではない。複雑で屈折した普通さだ。いや、それを人はメンヘラというのだろうか。
その女の子は、ふわふわと笑顔のまま、必死に普通だった。経済的にも生活的にも絶望的な世界で、たれ目かわいくお茶を飲む。
「でもね猫さん、私、折れちゃったんですよ」
と女の子は語る。猫は一緒にその女の子と仕事をした事がある。とある才能があったからだ。ただ、家庭の事情といろいろな不運と、やる気がなくなってその夢を実現する道は消えた。
その事に、ぼんやり思う猫であった。猫も一緒にカフェオレをすすった。
3年前、「セックスしたい」という動機でその女の子に近づいた猫。
その子と話していて異様に面白く、いつの間にか性欲は消えてしまっていた。
いや、消えてはいないのだ。
今はあの頃より、もっと抱きたい。もっとセックスしたい。
でも、できない。
なぜなら恥ずかしいからだ
なんで恥ずかしいのか、私にはもうわからない。
別に「知り合いに昇格(?)したから」とかいう理由ではあるまい。たとえばセフレさんとは知り合い以上の関係だが、セックスはするし大切にもしている。ただ、その女の子とセックスをするのは、他の女の子とするようには出来ないかもしれないと思ったのだ。いや、その女の子は面白いのだ。
猫「この間会った女の子が3Pしたいから女の子を探して来いと言うんだよねー」
女の子「私3pもした事あるけれど、配分が難しいよね。私途中から撮影係だったし」
そういうポジもあるのか。
猫はその女の子に聞いた。
「どうして、そんな風に、普通とはいわないまでも、分かりやすくグレたり、暴れたり、ヤンキーになったり、メンヘラになったりしないの? 何か信じている者とか、信頼できる友人とか恋人でもいるの」
その子はふんわりと首を横に振った。
美しいと思った。
特に理由はないのだ。
普通でいる事は。必死に普通でいる事は。その子にとって、ごく自然で、恰好悪かったり、これ以上ひどくならないように気をつけているだけなのだ。彼女は今、かなりの貧困の中にあるし、未来も希望もない。それでも可愛い服を着、可愛い顔と化粧をし、可愛く、生きている。
それが誇りというものかもしれない。人としての尊厳という奴かもしれない。そんな女の子を、私はセックスしたい。だけどきっと、セックスはできない。でもセックスしたい。セックスするためにはどうすればいいか。猫もまた、素敵な男になるしかない。努力しかない。精進しかない。修行だ。
そんなわけで、猫は今日も明日も、努力と研鑽を続けるだろう。メンヘラにならない。分かりやすく狂わない。分かりやすくトラウマを表に出さない。水面下には嵐のような複雑さが渦巻いても、表面上は静謐で、可愛く、そして毎日を楽しく暮らしていこう。
負けてはいけない。分かりやすさに。
分かりやすい苦しみに、分かりやすく身体を、心を反応させるのではなくて。
複雑に、屈折させて、目の前の絶望を、普通に変えて暮らしていけたらいい。
別に幸せじゃなくてもいい。目の前の幸せとか不幸とか、関係なく、へらへらと、ふわふわと、セックスしながら生きていけたらと思うばかりだ。それが、文化というものだと私は信じている。
その女の子は、私の表の顔も知られてしまっているし、仕事も一緒にした事がある。だから、あれなのだ。もうセックスは出来ないなと思っている。思っているが、やはり逢うと、本当にかわいいのだ。服の雰囲気も前あった時とはだいぶ変わった。ふんわりと清楚系。でも中身は相変わらず、ゲスい。
「最近は彼氏と元カレしか××してないですね―」
「私絶対××美味いと思うんですよー」
「×の穴なめさせてもらいつつ××触るのが好きなんです」
「××に執着が凄いんです」
「24時間彼氏や元彼の××触ってます」
(アメブロからNGが出て修正しました。)
とまあ、そこがたまらなくかわいいのだが。女の子の日常はよく知っているのはブログやツイッターをまめに更新しているのを見ているからで、そこからはとても平和で毎日を楽しく暮らしているような生活が垣間見えた。だか、話を聞いていると、そう簡単には毎日を送ってはいない。
詳しくは書けないが、それなりに女の子はハードな人生を送って来ていた。家族関係もややこしいし、なにしろ、貧困というか。でも、その外見にはまったく貧乏くささはないし、性格だって、「壮絶人生歩みました」という気配はみじんも感じさせない。正しく、まっとうに、でも複雑に座って笑っていて、下衆い。そこがたまらなくかわいいのだが。
でも、セックスは出来ないかもしれないと思った。
そしてその子の人生のハードな事情を知れば知るほど、なぜこの子が、病まなかったのか、まったくわからない。
単純な病み方を拒否し、自然と、ふんわりと、だけど下衆に、まっとうにまっとうじゃなく生きている。
しばしば出会い厨をしていると、いろいろ大変な事になっている女の子に出会う。その女の子もそうだった。話せば話すほど、メンヘラになる理由が沢山出てくる。だが、女の子は、変な話、普通とでも言うんだろうか。
いや、もちろん、普通ではない。普通ではないけど、なんというか、単純で純粋なメンヘラではない。複雑で屈折した普通さだ。いや、それを人はメンヘラというのだろうか。
その女の子は、ふわふわと笑顔のまま、必死に普通だった。経済的にも生活的にも絶望的な世界で、たれ目かわいくお茶を飲む。
「でもね猫さん、私、折れちゃったんですよ」
と女の子は語る。猫は一緒にその女の子と仕事をした事がある。とある才能があったからだ。ただ、家庭の事情といろいろな不運と、やる気がなくなってその夢を実現する道は消えた。
その事に、ぼんやり思う猫であった。猫も一緒にカフェオレをすすった。
3年前、「セックスしたい」という動機でその女の子に近づいた猫。
その子と話していて異様に面白く、いつの間にか性欲は消えてしまっていた。
いや、消えてはいないのだ。
今はあの頃より、もっと抱きたい。もっとセックスしたい。
でも、できない。
なぜなら恥ずかしいからだ
なんで恥ずかしいのか、私にはもうわからない。
別に「知り合いに昇格(?)したから」とかいう理由ではあるまい。たとえばセフレさんとは知り合い以上の関係だが、セックスはするし大切にもしている。ただ、その女の子とセックスをするのは、他の女の子とするようには出来ないかもしれないと思ったのだ。いや、その女の子は面白いのだ。
猫「この間会った女の子が3Pしたいから女の子を探して来いと言うんだよねー」
女の子「私3pもした事あるけれど、配分が難しいよね。私途中から撮影係だったし」
そういうポジもあるのか。
猫はその女の子に聞いた。
「どうして、そんな風に、普通とはいわないまでも、分かりやすくグレたり、暴れたり、ヤンキーになったり、メンヘラになったりしないの? 何か信じている者とか、信頼できる友人とか恋人でもいるの」
その子はふんわりと首を横に振った。
美しいと思った。
特に理由はないのだ。
普通でいる事は。必死に普通でいる事は。その子にとって、ごく自然で、恰好悪かったり、これ以上ひどくならないように気をつけているだけなのだ。彼女は今、かなりの貧困の中にあるし、未来も希望もない。それでも可愛い服を着、可愛い顔と化粧をし、可愛く、生きている。
それが誇りというものかもしれない。人としての尊厳という奴かもしれない。そんな女の子を、私はセックスしたい。だけどきっと、セックスはできない。でもセックスしたい。セックスするためにはどうすればいいか。猫もまた、素敵な男になるしかない。努力しかない。精進しかない。修行だ。
そんなわけで、猫は今日も明日も、努力と研鑽を続けるだろう。メンヘラにならない。分かりやすく狂わない。分かりやすくトラウマを表に出さない。水面下には嵐のような複雑さが渦巻いても、表面上は静謐で、可愛く、そして毎日を楽しく暮らしていこう。
負けてはいけない。分かりやすさに。
分かりやすい苦しみに、分かりやすく身体を、心を反応させるのではなくて。
複雑に、屈折させて、目の前の絶望を、普通に変えて暮らしていけたらいい。
別に幸せじゃなくてもいい。目の前の幸せとか不幸とか、関係なく、へらへらと、ふわふわと、セックスしながら生きていけたらと思うばかりだ。それが、文化というものだと私は信じている。