墨俣一夜城(美濃攻略の拠点)
織田信長は、美濃攻略をしつこく戦った。桶狭間の勝利から、六年も経っていた。YouTubeを観て下さい。https://youtu.be/e8SEXvI_kC0 墨俣一夜城(秀吉出世城)信長は、墨俣(洲又)に築城すること考えた。柴田勝家などが、築城に挑戦しては失敗した。そこで手を挙げたのが、羽柴秀吉だった。墨俣一夜城に行った。河と川に挟まれた、中州にあった。秀吉の作戦を絶賛する偉業だった。何故なら、一年後には稲葉山城を攻略した。地図を見ると、城の位置関係が良く解る。地図の左側が美濃になる。城の上から岐阜城方面を観た。河を超えて、美濃衆が攻めて来るのだ。今までに聞いていた、秀吉の作戦は。予め築城する材料を河を流して、組み立てた。美濃衆に、「秀吉は弱い、城が出来てからで十分」と、言わせる。だった。 秀吉が築城に掛かった時期は、十月だった。渇水期になる。秀吉が得意なのは、情報戦だ。調略した武将もいた、「秀吉は弱い」を流した。河に流して運んだ材料で、強固な塀を作った。と、想う。現地で想ったことだ。強固な塀で攻撃を防いだのだ。一夜城ではなく、ゆっくり城を築いた。 おわり