出産しました。



出産できました。



42歳。43歳になる歳です。



人生最大のミッションを終えました。



帝王切開の手術でしたが、



赤ちゃん出ます!って言われて、



おにゃあって聞こえた時は、さすがの私も涙を堪え切れませんでした。



声が聞けた。

生きてる。

この世で最初の産声をわたしが聞いた・・・



すぐに小児科医に連れていかれ、



なかなか戻ってこない。



泣く声が途切れるたびに、大丈夫ですか?



と麻酔科医に聞く。



今小児科の先生がしっかりみてますからねー



これを3回ほど繰り返し、



ようやく私の顔の隣に赤ちゃんが。



小さくて、可愛い。



なんか夫に似てる?!



わたしじゃない?!



人差し指でほっぺをツンって触りました。



すごく柔らかかった。



これが命か。



なんか一生忘れられないだろうなぁって思いながら、



待合室の夫の元へ連れていかれた。



どんな反応してるかなーって思いながら、



処置の苦しみへ戻るオエー






手術日前日に、かつてないくらいの胎動がありました。


グリグリ、ガリガリ、ポニョポニョ、ボコンボコン


明日出されるのがわかっているかのように。



不思議ですね。



出たくないのか早く出たいのか。








わたしの不妊治療はようやくおわりを迎えました。



夫を父親にしたい一心で、必死で諦めずにやってきました。




4度の流産。

流産手術の出血多量による緊急搬送。

PGTへの決断。

3度の転院。

片道何百キロという通院距離。

11回もの採卵。

陰性の涙。

不妊治療の情報収集と医師との戦い。

600万もの治療費への罪悪感。

不妊治療による体調不良。

仕事を休むストレス。

コロナ。

悪阻入院。






辛かったこと、あげたらキリがありません。



夫には四年も待たせてしまいました。



不妊治療という、男性にとって恥ずかしい場所へ引き込んでしまいました。



それなのに、



夫が前日に書いてくれた手紙には、私に対するリスペクトの言葉と、

自分に対するネガティブな言葉が書かれてありました。



「今までたくさんの苦労や困難がありましたが、

それでも前を向き続ける姿勢には本当に強い信念を感じ、私の妻で良かったととても誇りに思います。

それなのに何か手助け出来た実感はなく、掃除機やトイレ掃除が関の山でした」



そんなふうに思っていてくれたかと思うと…

わたしには勿体無い言葉です泣き笑い



夫には感謝しかありません。






そして支えてくれた母へも感謝を。



最大の感謝を込めて、母から一文字、名前をもらうことにしました。




この先、どんな苦難があっても、乗り越えられる気がします。



だって、人生最大の幸せを手にしたのだからうさぎのぬいぐるみ






やっと終わり、ようやく始まりますニコニコ




皆さんにも最大の敬意と感謝と祈りを込めて。