私の仕事に対する考え方
今日は、私の仕事に対する考え方についてお話したいと思います。
私は今、アリコジャパンという米国本社の外資系生命保険会社の日本法人・大阪セントラルエイジェンシーオフィスで約70名の営業と5名のセールスマネージャーと一緒に日々厳しい生命保険営業の世界で戦っています。
仕事柄多くの若者達とお会いする機会があるのですが、「自分に自信を持てず、志を持って夢を追いかける事が出来ない。やる気がなく元気がない。」といった閉塞感の漂った若者を多く見かけます。実は私も昔は、そのような若者の一人だったのです。
現在は素晴らしい仲間、優秀な部下に囲まれ、厳しい環境にありながら、日々色々なドラマがある、やりがいある仕事をしています。収入にも恵まれ、伊勢に別荘を構え、休日にはオフィスのメンバー達とサーフィンやバーべキュー、キャンプなど、プライベートも十分に楽しんでいます。
しかし現在の仕事に巡り合うまでは「頑張っても評価されない。働いても働いても給与は上がらない。全く休みがない・・・・」不満ばかり抱いて仕事をしていたのです。
少し私の過去を振り返ってみたいと思います。私は就職活動の時、「ゆくゆくは社長になりたい。自分で何か商売をしたい」と考え、商売の基本を覚えられる仕事を探していました。昔から旅行が好きだったので、「旅行会社に入ってノウハウを覚え、独立しようかな」と考えていました。
そんな時出合ったのがある大手流通企業でした。人事担当者から「当社は全国展開をしている流通企業です。多くのグループ企業もあります。その中には旅行会社もあります。その気になればどの関連会社でも働けます。商売を覚えるなら、やはり小売業は最適ですよ。」と誘いの声を受けたのです。「ここなら商売の基本をいろいろ勉強できるかな」と入社を決めたのでした。
最初に配属されたのは大阪市内のとある店舗の衣料品売り場。下は高校生から上は50代のおばさんまで、50人以上の女性アルバイトスタッフを束ね、パンツや肌着を棚に並べては売っていく仕事でした。中にはこの売り場で10年以上務めている方もいました。当然私など「ひよっこ」です。
しかし私は社員、「なめられてはいけない」と遮二無二指示を出していました。一生懸命になればなるほど、皆言うことを聞いてくれません。当然売上も上がりませんでした。それは売り場の姿に現れます。「挨拶をしない。売れている商品在庫がない。陳列の棚が汚い。・・・・・」
何かを変えなければと悩みました。「そうだアルバイトスタッフさんとの接し方を変えよう。今までは私が要求ばかりしていた。まずはアルバイトスタッフさんの要望を聞くことから始めよう。」と考えを改めたのです。「何かお手伝いすることはありますか?」「困っている事はないですか?」とアルバイトスタッフの意見を聞いていったのです。
すると不思議なもので、徐々にスタッフとの関係が改善され、仲良くなっていきました。それにともない、売上も上がっていったのです。
その会社は予算ノルマがとても厳しかったのです。上司から「今日はシャツを何枚売るんだ」と問われ、「20枚です」と答えると「何で20枚や?」「どのようにして20枚売るんや?」「他に考えはないか?」と問いかけは続きます。この様なやり取りを毎日繰り返していました。「単価の高い主力商品が計画通り売れれば、売り場全体の売上を作ることが出来る。商品一つ一つの売り方を考え、全体の売上を作っていく。」この教えはとても貴重な体験でした。
また売上目標を達成するため、店頭販売や催事の企画など色々なことにチャレンジしました。それはもう、休みなくがむしゃらに働きました。そして目標を達成し続けた私は、3年目には通常10年目クラスが主任を務める大型店の主任に任命されたのです。
そんな時研修を通じて知り合った人事部の同期社員から「会社はだれがやっても上手く出来る仕組みを作ることが目標。社員一人一人のことを考えて人事異動なんかしていない。所詮ぼくたちは会社のコマなんだ。どれだけ頑張ってもてっぺんには行けない。精々部長止まりだよ。」という話を聞いたのです。とてもショックな話でしたが、その時は「そんなものなのかな?」という半信半疑な感じでした。
暫くして、上司から査定のフィードバックを受ける機会がありました。「今回は泣いてくれるか」というのが上司の第一声でした。先輩を昇進させるために私の査定を下げないといけないというのです。それは日頃から「全く仕事をしない人だな」と思っていた人なのです。私は納得出来ませんでした。こんな査定は実力主義ではない。自分の実力が認められて主任に昇進したと思っていたのに、実はそうではないのかも?今後もこの様な事がきっとあるだろう。と不安を感じたのです。
悪いことは重なるものです。その頃学生時代から付き合っていた彼女がいたのですが、ふられてしまったのです。朝から深夜まで休日なく働いていたのに、彼女より給与が安かったのです。休みが取れず彼女と会う時間も作れませんでした。彼女も不安を感じていたんでしょうね。
そうなると、会社に対する不信・不満がとどまることなく噴き出してきました。「会社は私の実力を認めていない。給与が安い。彼女に振られたのは会社のせいだ。何もかも不公平だ。・・・・」すっかりやる気を失くしてしまったのです。
そんな時転職をした同期から話を聞く機会があったのです。それが今務めている会社との最初の出合いになります。
私は会社の愚痴を友人にぶつけていました。友人は私の話を受け入れてくれました。そして親身になって相談に乗ってくれたのです。その話しぶりは、自信を持って生きていると感じたのです。
その当時生命保険の営業は「ニッセイのおばさん」が代表するように女性の仕事でした。まして私には営業経験がありません。しかし友人の話を聞いているうちに、「自分の力を試してみたい。もともと苦労や努力はいとはない。腹をくくってやれば何でもできるはずだ。何より保険の人に喜んでもらえる商品だ。人に喜ばれる商品を売って、自分を試してみよう。」という思いが沸々とわいてきたのです。
当時の会社の上司や両親は転職に大反対でした。「騙されている。経験もないのに続かない。売れないから給与なんかもらえない。生命保険を男が売るな」と言われました。
しかし私は自分の意思を貫きました。そして今の幸せを手に入れているのです。
「前職より今の会社が素晴らしい」と言っているのではありません。「会社の責任だ。世の中が悪い」と言っていても何も解決しない。昔の私がそうだったように。まずは一歩を踏み出すことが必要だと言うことです。立ち止まっていてもダメなんです。
自分の人生を自分の価値観で全うする事が大切。我慢をする事、遠慮をする事、よりもたった1回の人生、わがままに生きる方が納得できる。自分が好きと楽しいと思える仕事を見つける為、一流の物や人にふれる事が大切。殻にこもって安易に決める事ではありません。やりたい事をイメージできる仕事を探したら良いと思います。そう出来たらきっと生き方も変わります。
仕事について悩んでいる方がこのブログを読んで、もう一度自分を見つめ直し、頑張ってみようと思ってもらえれば幸いです。次回は現在の仕事場での感動の日々を紹介したいと思います。
私は今、アリコジャパンという米国本社の外資系生命保険会社の日本法人・大阪セントラルエイジェンシーオフィスで約70名の営業と5名のセールスマネージャーと一緒に日々厳しい生命保険営業の世界で戦っています。
仕事柄多くの若者達とお会いする機会があるのですが、「自分に自信を持てず、志を持って夢を追いかける事が出来ない。やる気がなく元気がない。」といった閉塞感の漂った若者を多く見かけます。実は私も昔は、そのような若者の一人だったのです。
現在は素晴らしい仲間、優秀な部下に囲まれ、厳しい環境にありながら、日々色々なドラマがある、やりがいある仕事をしています。収入にも恵まれ、伊勢に別荘を構え、休日にはオフィスのメンバー達とサーフィンやバーべキュー、キャンプなど、プライベートも十分に楽しんでいます。
しかし現在の仕事に巡り合うまでは「頑張っても評価されない。働いても働いても給与は上がらない。全く休みがない・・・・」不満ばかり抱いて仕事をしていたのです。
少し私の過去を振り返ってみたいと思います。私は就職活動の時、「ゆくゆくは社長になりたい。自分で何か商売をしたい」と考え、商売の基本を覚えられる仕事を探していました。昔から旅行が好きだったので、「旅行会社に入ってノウハウを覚え、独立しようかな」と考えていました。
そんな時出合ったのがある大手流通企業でした。人事担当者から「当社は全国展開をしている流通企業です。多くのグループ企業もあります。その中には旅行会社もあります。その気になればどの関連会社でも働けます。商売を覚えるなら、やはり小売業は最適ですよ。」と誘いの声を受けたのです。「ここなら商売の基本をいろいろ勉強できるかな」と入社を決めたのでした。
最初に配属されたのは大阪市内のとある店舗の衣料品売り場。下は高校生から上は50代のおばさんまで、50人以上の女性アルバイトスタッフを束ね、パンツや肌着を棚に並べては売っていく仕事でした。中にはこの売り場で10年以上務めている方もいました。当然私など「ひよっこ」です。
しかし私は社員、「なめられてはいけない」と遮二無二指示を出していました。一生懸命になればなるほど、皆言うことを聞いてくれません。当然売上も上がりませんでした。それは売り場の姿に現れます。「挨拶をしない。売れている商品在庫がない。陳列の棚が汚い。・・・・・」
何かを変えなければと悩みました。「そうだアルバイトスタッフさんとの接し方を変えよう。今までは私が要求ばかりしていた。まずはアルバイトスタッフさんの要望を聞くことから始めよう。」と考えを改めたのです。「何かお手伝いすることはありますか?」「困っている事はないですか?」とアルバイトスタッフの意見を聞いていったのです。
すると不思議なもので、徐々にスタッフとの関係が改善され、仲良くなっていきました。それにともない、売上も上がっていったのです。
その会社は予算ノルマがとても厳しかったのです。上司から「今日はシャツを何枚売るんだ」と問われ、「20枚です」と答えると「何で20枚や?」「どのようにして20枚売るんや?」「他に考えはないか?」と問いかけは続きます。この様なやり取りを毎日繰り返していました。「単価の高い主力商品が計画通り売れれば、売り場全体の売上を作ることが出来る。商品一つ一つの売り方を考え、全体の売上を作っていく。」この教えはとても貴重な体験でした。
また売上目標を達成するため、店頭販売や催事の企画など色々なことにチャレンジしました。それはもう、休みなくがむしゃらに働きました。そして目標を達成し続けた私は、3年目には通常10年目クラスが主任を務める大型店の主任に任命されたのです。
そんな時研修を通じて知り合った人事部の同期社員から「会社はだれがやっても上手く出来る仕組みを作ることが目標。社員一人一人のことを考えて人事異動なんかしていない。所詮ぼくたちは会社のコマなんだ。どれだけ頑張ってもてっぺんには行けない。精々部長止まりだよ。」という話を聞いたのです。とてもショックな話でしたが、その時は「そんなものなのかな?」という半信半疑な感じでした。
暫くして、上司から査定のフィードバックを受ける機会がありました。「今回は泣いてくれるか」というのが上司の第一声でした。先輩を昇進させるために私の査定を下げないといけないというのです。それは日頃から「全く仕事をしない人だな」と思っていた人なのです。私は納得出来ませんでした。こんな査定は実力主義ではない。自分の実力が認められて主任に昇進したと思っていたのに、実はそうではないのかも?今後もこの様な事がきっとあるだろう。と不安を感じたのです。
悪いことは重なるものです。その頃学生時代から付き合っていた彼女がいたのですが、ふられてしまったのです。朝から深夜まで休日なく働いていたのに、彼女より給与が安かったのです。休みが取れず彼女と会う時間も作れませんでした。彼女も不安を感じていたんでしょうね。
そうなると、会社に対する不信・不満がとどまることなく噴き出してきました。「会社は私の実力を認めていない。給与が安い。彼女に振られたのは会社のせいだ。何もかも不公平だ。・・・・」すっかりやる気を失くしてしまったのです。
そんな時転職をした同期から話を聞く機会があったのです。それが今務めている会社との最初の出合いになります。
私は会社の愚痴を友人にぶつけていました。友人は私の話を受け入れてくれました。そして親身になって相談に乗ってくれたのです。その話しぶりは、自信を持って生きていると感じたのです。
その当時生命保険の営業は「ニッセイのおばさん」が代表するように女性の仕事でした。まして私には営業経験がありません。しかし友人の話を聞いているうちに、「自分の力を試してみたい。もともと苦労や努力はいとはない。腹をくくってやれば何でもできるはずだ。何より保険の人に喜んでもらえる商品だ。人に喜ばれる商品を売って、自分を試してみよう。」という思いが沸々とわいてきたのです。
当時の会社の上司や両親は転職に大反対でした。「騙されている。経験もないのに続かない。売れないから給与なんかもらえない。生命保険を男が売るな」と言われました。
しかし私は自分の意思を貫きました。そして今の幸せを手に入れているのです。
「前職より今の会社が素晴らしい」と言っているのではありません。「会社の責任だ。世の中が悪い」と言っていても何も解決しない。昔の私がそうだったように。まずは一歩を踏み出すことが必要だと言うことです。立ち止まっていてもダメなんです。
自分の人生を自分の価値観で全うする事が大切。我慢をする事、遠慮をする事、よりもたった1回の人生、わがままに生きる方が納得できる。自分が好きと楽しいと思える仕事を見つける為、一流の物や人にふれる事が大切。殻にこもって安易に決める事ではありません。やりたい事をイメージできる仕事を探したら良いと思います。そう出来たらきっと生き方も変わります。
仕事について悩んでいる方がこのブログを読んで、もう一度自分を見つめ直し、頑張ってみようと思ってもらえれば幸いです。次回は現在の仕事場での感動の日々を紹介したいと思います。
ブログを始める目的 -濱田の夢-
このたび私はブログを始めることにしました。
その目的は、私が今まで経験してきたことを伝え、夢を語ることで、『日本を元気にするためのお役に立ちたい。』と思ったからです。
微力ながら、閉塞感を持った若者たちに、「生きるという事」、「夢を持つ事」「働く事」がすばらしい事なんだと伝えたい。そう思ったからです。
現在、日本を取り巻く環境は厳しく、少子高齢化により年金制度や健康保険制度など社会保障は今後存続を危ぶまれており、産業全体でも大きな成長が望めない状態です。
若者達も日本の文化や伝統に自信を持てず、志を持って夢を追いかける事を閉塞感のある現実が壁となり、立ちはだかっています。
日本国の将来を考えた場合に、収入(国益)を上げる事を第一に取り組むべきですが政治家達はそれをせず自分や所属の党の保身に執着する。見るのもむかつきます。何してるんだと憤ってしまいます。
私は昨年、城 繁幸氏の「3年で辞めた若者はどこに行ったのか」に紹介されましたが、大手流通企業よりアリコジャパンに転職し、一定の収入と地位を手に入れる事ができました。
経済的に困る事が無い状況になってから、本当に「この国の為に何か出来ないか」という事を強く想うように変わっていったのです。
私は30年前より、サーフィンを通じて伊勢を知りました。
近場で真っ白い砂浜と遠浅のエメラルドブルーの浜で朝から晩まで波を追いかける日々が青春時代でした。大学を出て、行かなくなり(行けなくなり)ました。
30才を過ぎて、大きな失意の時に、又、サーフィンを再開しました。
4~5年前より、将来「ここに村を作ろう。」という話をしていたら、ある社長に「伊勢にモナコを作ったら」と助言され、これなら日本国の活性化の大きな原動力になると確信しました。
伊勢は神話の時代よりの文化があり、太古より『お伊勢参り』は日本人の最大のリゾートでした。
また、新鮮な食材も豊富であり、伊勢えび、あわび、松阪牛は日本最高の食材です。
また、リゾートとしては、サーフィン、ゴルフ場、ヨット、釣り等も日本最高クラスのスケールとクオリティがあります。世界で初の養殖に成功したパールや鈴鹿サーキットは屈指のレース場、スペイン村というテーマパークまであります。
これほど一箇所に多くの魅力ある設備が揃っている所は世界中見てもありません。
ここにモナコを作るのです。
世界中のセレブが集まる場所。
日本の文化を取り入れた衣食住にこだわった町、日本文化に来国した人達を虜にする町。
そこから今の日本を変えたい。
そう考えています。この夢は具体的に動こうとしています。
私は今、アリコジャパン大阪セントラルエイジェンシーオフィスで約70名の営業と5名のセールスマネージャーと一緒に日々厳しい生命保険営業の世界で戦っています。
親会社AIGへのアメリカでの大きな批判があり、我々も厳しい環境の中、我々の仲間が織成す感動のドラマが日々そこにあります。
こうした私の経験と夢を語りながら、読者の方のお悩みを一緒に考えたいと思っています。
私が多額の報酬を得られるようになったのは、たまたまです。
たまたま「健全な考え方」を持つ事が出来たからに過ぎないのです。
それは様々な人との出会い、指導、支援によって持つことが出来たのです。今まで出会った様々な人に感謝し、その経験・教えを多くの若者に伝えていきたいと考えています。
人生を楽しめない人のために、少しでも人生を楽しめるよう、このブログが一助になればと思います。
その目的は、私が今まで経験してきたことを伝え、夢を語ることで、『日本を元気にするためのお役に立ちたい。』と思ったからです。
微力ながら、閉塞感を持った若者たちに、「生きるという事」、「夢を持つ事」「働く事」がすばらしい事なんだと伝えたい。そう思ったからです。
現在、日本を取り巻く環境は厳しく、少子高齢化により年金制度や健康保険制度など社会保障は今後存続を危ぶまれており、産業全体でも大きな成長が望めない状態です。
若者達も日本の文化や伝統に自信を持てず、志を持って夢を追いかける事を閉塞感のある現実が壁となり、立ちはだかっています。
日本国の将来を考えた場合に、収入(国益)を上げる事を第一に取り組むべきですが政治家達はそれをせず自分や所属の党の保身に執着する。見るのもむかつきます。何してるんだと憤ってしまいます。
私は昨年、城 繁幸氏の「3年で辞めた若者はどこに行ったのか」に紹介されましたが、大手流通企業よりアリコジャパンに転職し、一定の収入と地位を手に入れる事ができました。
経済的に困る事が無い状況になってから、本当に「この国の為に何か出来ないか」という事を強く想うように変わっていったのです。
私は30年前より、サーフィンを通じて伊勢を知りました。
近場で真っ白い砂浜と遠浅のエメラルドブルーの浜で朝から晩まで波を追いかける日々が青春時代でした。大学を出て、行かなくなり(行けなくなり)ました。
30才を過ぎて、大きな失意の時に、又、サーフィンを再開しました。
4~5年前より、将来「ここに村を作ろう。」という話をしていたら、ある社長に「伊勢にモナコを作ったら」と助言され、これなら日本国の活性化の大きな原動力になると確信しました。
伊勢は神話の時代よりの文化があり、太古より『お伊勢参り』は日本人の最大のリゾートでした。
また、新鮮な食材も豊富であり、伊勢えび、あわび、松阪牛は日本最高の食材です。
また、リゾートとしては、サーフィン、ゴルフ場、ヨット、釣り等も日本最高クラスのスケールとクオリティがあります。世界で初の養殖に成功したパールや鈴鹿サーキットは屈指のレース場、スペイン村というテーマパークまであります。
これほど一箇所に多くの魅力ある設備が揃っている所は世界中見てもありません。
ここにモナコを作るのです。
世界中のセレブが集まる場所。
日本の文化を取り入れた衣食住にこだわった町、日本文化に来国した人達を虜にする町。
そこから今の日本を変えたい。
そう考えています。この夢は具体的に動こうとしています。
私は今、アリコジャパン大阪セントラルエイジェンシーオフィスで約70名の営業と5名のセールスマネージャーと一緒に日々厳しい生命保険営業の世界で戦っています。
親会社AIGへのアメリカでの大きな批判があり、我々も厳しい環境の中、我々の仲間が織成す感動のドラマが日々そこにあります。
こうした私の経験と夢を語りながら、読者の方のお悩みを一緒に考えたいと思っています。
私が多額の報酬を得られるようになったのは、たまたまです。
たまたま「健全な考え方」を持つ事が出来たからに過ぎないのです。
それは様々な人との出会い、指導、支援によって持つことが出来たのです。今まで出会った様々な人に感謝し、その経験・教えを多くの若者に伝えていきたいと考えています。
人生を楽しめない人のために、少しでも人生を楽しめるよう、このブログが一助になればと思います。