土浦花火は
誰が作ったのか
70万、80万もの観光客が訪れる
土浦全国花火競技大会ですが
最初は慰霊のための花火でした。
霞ヶ浦航空隊の殉職者
関東大震災とその影響による不況
第二次世界対戦と復興
ショックな出来事がおきる度に
先導者が現れ
花火大会が開かれました
◼️神龍寺の秋元梅峯は
関東大震災後の不況の中
航空隊の殉職者のため
町の窮地を救うために初めて開催し
◼️土浦花火の北島義一をはじめ花火師が
戦後の日本花火技術
競技大会のレベルを底上げしました
鎮魂 哀悼 祈り 感謝
想いを込めた人達が
それぞれの世代にいて
花火を支えてきたけれど
こんなに高品質の花火を
打ち上げる花火大会を
作ってしまうなんて
なんて花火を愛する人が多い町
なんだろうと思います。
でも
彼ら先導者の力だけじゃなくて
引き寄せられた一般の人達の
渦巻く力が
この大会をより大きな存在に
押し上げたと思います。
秋のお祭りを
ずっとずっと
楽しみにした人達が
いて
家族や親戚で集まって
楽しんだよね
2000年 市制60年記念で
「ワイドスターマイン
土浦花火づくし」
が特別に披露されると
完成度の高い花火に
観客の反響が
あまりに凄まじく
継続されることになったそうです
花火を見た人の
感動声が
さらに
観客を集め続けてると思います。
土浦で育ち
毎年 見続けてきて
花火を見るために
毎年 帰り続けてきた
三浦春馬さんは
地元の花火を
土浦の誇り
と伝えました。
この目で見た人の言葉は重い
見れば見るほど魅了される
土浦花火を作ったのは
土浦花火を愛する人の原動力と
呼びかけに応える人
感動を伝える人だ
伝える人の
エネルギーが
歴史をつくると思います
土浦花火にとって
春馬さんは
感動を伝える人。
春馬さんから知った私も
土浦花火を
伝える人になりたい
そして
誠実に生きた春馬さんは
私にとって
先導者で原動力のひと。
春馬さんという
先導者から
受け取った
生き方を
いろんなかたちで
伝えていけたらいいな
■土浦全国花火競技大会に関わる人達の資料
(土浦博物館 土浦と花火より)
大正14年(1925)に全国競技会として
初めて開催されます。
◼️神龍寺の秋元梅峯
霞ヶ浦航空隊殉職者 の慰霊
関東大震災犠牲者 の慰霊
不況にあえぐ商店街の復興
秋の実りの感謝を込めて
市内神龍寺の住職 秋元梅峯が
私財を投じ始めたそうです。
神龍寺は亀城公園(土浦城趾)の
北西すぐ近くにあり
秋元住職は関東大震災の
避難民も積極的に受け入れました
◼️土浦煙火協会
第6回(1932)以降は、主催が
土浦煙火協会に移行します。
これによって町を上げての
開催になり、近隣の観光地の
筑波山 水郷 海軍航空隊などを
結ぶ遊覧都市として
土浦は発展したのだそうです。
◼️協賛者となった地域商業
町と商工会と煙火協会が
協力しあい
大会の規模を広げました
◼️土浦火工と花火師たち
戦後は
全国的に知られた地元の
花火製造企業の
土浦火工株式会社(北島義一)が
大会を支えました
土浦火工は数々の競技大会で
優勝し、技術力が高かったので
全国各地から子弟が集まりました。
花火を輸出推進しようとする
国の方針もあったようです。
スターマイン競技に大臣賞が
できた経緯もあり、花火師の技術向上に
繋がったようです。
土浦火工はすでに歴史を閉じていますが、
昭和20年代から50年代にかけて、
北海道から中部地方まで花火大会を
受注するほどの活躍だったそうです。
長文読んでくださり
ありがとうございます
