全然気持ちの整理はできなくて。
どこかで吐き出せたら
少しは楽になれるのかと…
久しぶりにアメブロを開いてみた。
5月2日、1年9ヶ月間、癌と戦った父が息をひきとった。
4月20日、ストマからの出血が多く
そのまま入院。
出血もおさまり外泊許可がおりたので
4月27日〜3泊4日、自宅へ戻ってきました。
もうモルヒネも投与されていたこともあり
時々、せん妄がでることもありました。
それでも、ご飯も一緒に食べ
愛犬にも嬉しそうにおやつをあげ
家族での大切な時間を過ごした。
30日に病院へ戻り
看護師さんからの
「楽しかった?また帰りたい?」って質問に
「帰りたい」と答えた父。
じゃあまた近いうちに外泊をしようと話した。
30日は母も私も心身共に疲れていたので
自宅へ。
翌日5月1日、病院へ行くと
モルヒネの投与量が増やされていて
父は何の反応もなく
ただベッドに横になり
酸素吸入をしていた。
その日、母は夜病院へ泊まることに。
その翌日5月2日
朝、病院へ行ったら
看護師から
「下顎呼吸が始まったので、会わせたい人がいたら、呼んでください」といわれた。
何人かの親戚が
会いにきてくれた。
その後も父はただベッドに横になり
目をつむっているだけ。
皆が帰り
母がどうしても1時間ぐらい
外にでないといけなくなり
私が病室に残った。
しばらくしたら看護師が
「痰の吸引をするので、病室から出てもらっていいですか?」と言われ
病室の目の前にあるソファーで待った。
5分後ぐらいに、もう1人の看護師が
病室へ入っていった。
そこから5分後ぐらいたったころ看護師が
「意識レベルが低下してます。奥様は?」
と言われ、母に急いで連絡をした。
そして私は病室へ入った。
もう父は息をひきとっていた。
父は涙を流していた。
酸素吸入をしていた父は
痰の吸引をするには、一時的に酸素吸入器を
外さないといけなかったらしい。
そのまま父は息をひきとった。
歩いて5秒の所にいた私も
死に目にあえず
もちろん母も間に合わなかった。
看護師から
「痰の吸引で、酸素マスクを外して、意識レベルが低下しても、すぐに酸素マスクをすれば、今までは戻っていたので」といわれた。
私は医療の専門的なことは
何もわからない。
でもせめて、病室の目の前にいた私を
すぐにでも病室へ入れてくれたら
父を1人っきりで、逝かせることはなかった。
下顎呼吸が始まったとき
「何があるかわからないから、ご家族はそばにいてあけてください」と言われたのに。
だからそばにいたのに。
父の最期を看取ったのは看護師。
あの日から4ヶ月。
母は毎日泣いている。
私は父の死を受け入れることもできず
私は泣き方も忘れた。
父の最期に家族が誰1人として
そばにいれなかった。
そのことを繰り返し考えてしまう。
後に知り合いの看護師さんから
「痰の吸引ってあぶないんだよね。下顎呼吸がはじまってる患者さんには、やらない。ご家族からの要望があれば危険を納得してもらって、することはあるけどね」と聞いた
私も母も、痰の吸引をお願いをしたことはなかった。
無念しかない。


時に船橋競馬場駅 改札
で待ち合わせ



かと思いきや


船橋競馬場






ちこチャマ


































