王 大人ではない。
いやね、子供の頃からずーーっと大人になりたいって思ってたんですよね。
何でだかわからないけど。

たぶん記憶が残ってるか残ってないかくらい小さい頃、なんか難しい言葉か言い回しか、母親に笑われたのを覚えてるんだよね。多分、年相応じゃないってニュアンスで。
なんだかそのときすごく残念な気持ちがしたのを覚えてる。
あぁ、子供がこういう言い方するのって変なんだ。
もしかしたらそれが原体験になってるのかもしれない。
早く大人になりたい。
笑われたくない。

小学校の頃ディベートをする授業があったんだけど、「大人と子供、どちらが良いか」みたいな題で。
今でも覚えてるのは、ムキになって「大人はズルい、そう思った事はないか?」って執拗に相手を責めたこと。
やっぱりちょっとニヒルな自分を演じてたというか、そういうのがかっこいいと思ってた部分はあったと思う。
それは今でも確かに伏流してて、極端に人と違うことを追い求めたりして。

大人になる、ってどういうことなんだろうな。今になって思う。
大人って何だろう。
責任感
許すこと
懐の広さ
理不尽を受け止められる
ぶれないこと
何だろう。いろいろあるだろうけど。
僕自身がずっと追いかけて来たのって漠然とした「かっこよさ」だったのかもしれないな。
大人と子供、っていう対立関係を設定して、子供っぽい事を非とする態度というか。
内田樹さんによるエマニュエル・レヴィナスの考察によく出てくる、「大人」。そこでも設定されるものとして「大人と子供」という構造が示される。
うーん。
でもそこに見られる「大人」と単に「かっこいいもの」としての大人は全然違うなぁ。着地失敗だなぁ。
まぁいいや。
何が言いたかったかと言うと、子供っぽい事や行動を否定したいんです、僕は。
小賢しいことをしたくない。
それだけなんです。
その結果、腐って堕ちていくのも是としたい。小賢しく生きたくないんです。
シリトーの書く「誠実さ」、そんな様なものとして。

今さ、社会人サークルっていうか、本当の仲間っていうの?そういうアツい奴らで集まっていろいろやってるんだけど、今度来て見ない?

なんともわかり易い誘いを受け、ここ最近の「怪しい人についてってみるキャンペーン」にも則ってまんまと話を聞きにいってみた。

いや、元々はバイト先の上司でそれなりに付き合っていたんだけれど。数ヶ月バイトに顔を出さずに居たら電話がかかってきた。辞めるらしい。それで飯でも食いに行かないか?
まぁそこまではフツー。でも辞めてからの話とか聞いてるとどーも、なんか、怪しい。なんでも最近は「本物の仲間」に出会い、「人間的に成長出来る機会に恵まれ」、その仲間のおかげで踏ん切りがついたそうな。で、将来はこんなことをやりたいんだ!だからそれまで修行積んでさ、でもそういう風に思えたのも環境のおかげなんだよね!
あーこりゃこりゃ。ミ◯プルーン的なね。
と、まぁそんな感じで連れて行かれた先の事務所で約2時間。最後はちゃんと断って帰ってきたんだけども。あの人は話も上手くないし嘘つくのも上手くない。あれで稼いでいけるんだろか。ちょっと心配になった。
お金を払って繋がる、お金を払わないと繋がれない「本当の仲間」。きれいごとを並べたてて、金をうむために知り合いを利用する。何だかいたたまれない気分になった。同時に、なめるなよ?と。金銭ばかりが価値の判断基準のなかで大きい割合を占める、そういう人間とそれ以外は皆綺麗な事言ってれば信じる人間だと思ってんのか、と。具体性って大事だな、と。
とにかくいろんなこと思ったしいろんなこと勉強になったな、って思いますよホント。はぁ。

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横浜駅相鉄口5番街、ちょっと古めかしい造りの喫茶店。ここに来ると何だかすごくリラックスできる。
混んでる日はタバコの煙でもくもくしてるこの店の2階が大好きだ。
横浜には格好だけでホントにしょーもないカフェが多いけど、この店はすごく良い。
この辺りで若者が集まるオシャレカフェはいくつかあるし、中にはインテリアも食べ物も飲み物も接客も全て良いカフェだってあるかもしれない。
でも概して、僕が知るかぎり、金額設定だけやたら高いカフェが多い。そして頭の中には豆腐か生クリームしか入ってない様な客が多い気がする。すごいカッコイイ造りでさり気なくミッドセンチュリーの椅子とかテーブルとか置いてる店に入ってみると大抵ランチで1000円以上とって素人が作った様なパスタとか丼とかがオシャレな盛り付けで出てくる。そして食べ物が不味い店は大体コーヒーも不味い。不味くなくても奇をてらって変なものをトッピングして「どーだ、オシャレだろ?」って顔して出してくる。それをスイーツが、「すご~いおいしそぉ~」って言って飲む。
確かにこの店はオシャレではないけれど。



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