夫とひどい喧嘩をしました。

私は日ごろから不満がからだの中に溜まっていてうまく消化しきれていなかったため、

夫への態度がきつくなっていて、思いやりを持てなくなっていました。

私から酷いことを言ってしまい言い争いになったのだけど、謝る気持ちがまったく起きなかったんです。

さらに、その態度や言葉を咎められると消化しきれず溜まっていた不満に火が点きお腹の中で煮え立った。

下腹辺りから凄まじく燃え盛るエネルギーが髪の毛の先まで包み込んで

まるで炎の中にいるみたいに怒りの感情が熱く燃え盛り、

後から後から夫への不満の言葉が出て来て止まらない。

 

お腹から上に上にと、熱い怒りのエネルギーが立ち上り、

下半身はそのまま、顔や肩、頭、胸がいぶされるように熱くなる。

 

アーユルヴェーダの考えでは、

食べた物だけでなく、感情もうまく消化できないと毒素として体の中に蓄積されるそうです。

消化する働きをアグニと呼ぶのですが、アグニは火のエネルギーです。

たべたものだけでなく、感情もアグニで消化するのですが、

火加減を丁度良く保っていないと感情が揺さぶられ不安定になり、

身体も心も消化不良になると言われます。

 

喧嘩真っ最中のあの身体の熱さを思い出しました。

あの時の私は相当な強火設定でした。中華鍋をふるう位の火加減です。

身体の中に感じたのは確かに炎の熱さでした。ほんとに火だよ・・・・

 

火加減の調整は感情が手綱を握っているようです。

エゴ(自我)が優位になると炎は天にまで上る程燃え盛るけど

それでは余計なものまで焦がしてしまうことになりかねないのでしょうね・・・。

 

上手く怒り以外の発散のさせたり、理解し合う歩み寄りなどで丁度良い火加減を保ちたいと思います。

夫にも理不尽なことはちゃんと謝って自分の炎を収めたいと思います。

 

 

 

ヨガの先生の髪型って、
黒髪ロングのイメージありませんか?

かくゆう私も例に漏れず黒髪ロングなんですが、別にポリシーというわけでもなく、ただただ髪を切るのが面倒で胸下まで伸びてます。

最近は白髪が混じるようになり、
もうそろそろ染めるべき?なんて思うのですが、


できれば染めたくない……
最近お見かけした近藤サトさん💝


素敵ですよね。
かっこいい憧れますー〜。

でも、白髪頭って清潔感大事だと思うんです。老けて見えるからボサボサはN Gですね!!
綺麗にセットしたり丁寧に髪を梳かしたり。
若い時より手をかけてあげないといけませんね😆

髪を綺麗に保つと幸せがやってくるそうです。
年に応じながら自分のスタイルを表現し続けたいですね!

急に寒くなりましたね流れ星

 

私はだいたい夜遅く帰る事が多いのですが、

実はその帰り道の途中に欠かさずしていることがあります。

 

それは、お祈りの時間です虹

 

お店を閉めて最寄りの駅に着くのはだいたい夜中の12時。

人通りも少なくてだいたい一人なんですが、

その途中に押しボタン式の横断歩道があります。

 

その横断歩道のボタンを押して信号が赤から青に変わるまでの間が私のお祈りの時間です星

 

昨年亡くなった小林麻央さんのブログに「浪漫飛行」というエントリーがあるのですが、

その内容がサマディに達した方のような視点で書かれていて魅かれました。

 

「浪漫飛行」(抜粋)

 

どうして私はここまでにならなくてはならんかったのだろうと思う事がありました。

 

でも わたしはここまでになる必要があったのだと考えるようになりました。

 

そう思える穏やかさは、魂が納得をしているのだと感じます。

 

魂って、私たちが思っているよりもずーっと私に浪漫を感じているのでしょうね。

 

だから、病気で痛くて痛くて小さな中に閉じ込められていると感じる時も本当は逆で、

 

魂は壮大な浪漫飛行中なのでしょうね。

 

 

たぶん、ヨガに出会わず、インド哲学を知らなかったら感じ方が違っていたんではないかと思わずには居られません。

麻央さんはおそらくヨガ哲学やインド哲学をしっていらっしゃらないと思うのですが、

内容は心をきめ細かく細分化していて、大宇宙(ブラフマン)と小宇宙(アートマン・魂)を意識されている。

死に向き合った方だから到達できる境地なのでしょうね。

 

そんな麻央さんのメッセージを何回もかみ砕いて自分の物にしたくて、

ボタン式の横断歩道を渡る日は必ず頭にこの文章を唱えながらお祈りしています。

 

私のマントラなんです。

 

毎日毎日印象や理解が変わるんです。

 

宗教の純粋なエッセンスってこういう所から始まったんじゃないかなんて思います。

 

パッケージ化されたものをただ唱えるだけではなくて

内容を噛みしめて理解しながら自分のものにしていく。

 

ニヤマの読誦 スワディヤーヤの実践にもあたると思うのです。

 

毎日でなくていい。

ゆっくりと自分の出来るペースで。

呼吸を整えるのと同じ様に思います。