こんにちわ!皆さんお元気ですか?コーネリアスです。さて、今回は上記のテーマで行こうと思います。今、職場で、学校で、役所で、人間関係なんかで悩んでいる貴方。そんな時には、是非聖書を、特に新約聖書を読んでみる事をお勧めしたいです。何らかの助けが見出せるのではないでしょうか?ですか、勿論絶対というつもりはありません。その時の置かれた状況、背景などもありますからね。場合によっては複雑なもの。聖書で何もかもがすんなり解決するのなら、とっくに全人類皆クリスチャンになってる筈だからね…そもそもがこの世での人の悩みの殆どの根源は、この対人関係にあるわけだからね。そうした点でも特に現代に於いては極めて複雑で、難しいものだと思います。これに追い討ちを掛けるが如く、昨今ではコロナ禍。全く、人の悩みは尽きないと思います…

聖書には、色々な人生訓が満載です…

 

 考えてみれば、私コーネリアスが聖書を買って読み始めたのは、確か40半ばの頃でした。その頃の私は某大手チェーンのファミレスで店長をやっており、毎日超多忙な日々を送っていました。九州に自宅があり、家族も其方に居たんですが、担当が中四国地区。なので、必然的にいわゆる単身赴任生活でした。家族と離れてね。来る日も来る日も残業、残業。たまの休みの日にも店からクレームがありました店長どうしましょう、と言った電話や、スタッフが急に休みました。人が足りませんどうしましょう、と言った電話が来る有り様。のんびり休めた日なんかホント数えるくらいでした。まあ仕方ないと言えば仕方ないです。そんな仕事を選んだのは誰でもない、自分なんですからね。いわゆる自己責任ってやつですね。そんな生活を送る毎日でしたが、唯一の趣味が読書。色々と本は買い込んで読んでいました。そんな中で出会ったのが、佐藤優さんという作家の本。当時とても興味を引き面白かったので、2冊、3冊と買い込んで読み耽っていました。ご存知の方多いと思いますが、氏はクリスチャンでもあります。なので、世の中の色んな事をクリスチャン目線でも語ったりもしています。そんな本を読む内に私も何となくですが、キリスト教に興味と言うか、関心が湧いて来ました。そして、次第に聖書というものにも興味が出て来て、『一度読んでみようか…』と思うようになり、買い込んで読むようになりました。まあ、何でしょうね…兎に角分厚い本だからねえ、毎日少しずつ気長に読むようにしました。最初は新約聖書。有名なイエスキリストの福音書から読み進め、次に使徒行伝、パウロ書簡集、ヨハネ黙示録そして旧約聖書へと続けて行きました。で、一年以上掛けて全部読み終えましたが、忘れているんですよ。最初読んだ部分とか。なので、また最初に戻って福音書から読み進めるといった感じです。まあ、忘れもしますよ…あんなに分厚いんだから…で、この聖書の読み返しは今でもやっています。今は昔みたいに毎日では無いですが、週に何度かは読みますね。でもね、まだまだです。聖書理解は。なので、私コーネリアスは、この聖書の読み返し作業は一生もの、死ぬ直前までやらなきゃなぁと今では思っています。そう覚悟しています。そりゃそうでしょうね。神と人間の事をそう簡単に理解出来るんなら、そもそも牧師や神父何て要らないからね。そうでしょう、皆さん。

 今回タイトルに敢えてイジメという言葉を使いましたが、私も子供の頃ですが、イジメは経験しています。イジメられもしましたが、イジメてもいました。両方経験があるんです。子供時分の私はいわゆる転勤族の家庭で育ちました。父が仕事の都合で転勤族だったからね。よく引っ越ししました。なので、よく転校してました。私同様の経験をされた方ならご理解頂けると思うのですが、子供の頃に転校したりすると、行った先なんかでイジメに遭ったりするんですよね、何故か。私も経験があります。でもね、それでもどうにかやって来れたのは、私が生来楽天家であった事と、良い意味で鈍感な子供だったからだと思っています。それと私の場合は父の存在があったからと感謝しています。実は私は一人息子。父母と3人暮らしの家庭でした。学校でイジメられて家に帰っても兄弟姉妹はいませんから、相談したり、愚痴を聞いてくれる相手が居ないわけです。私の妻などは私と真逆で3人兄弟、上にお兄ちゃん、下に弟が居たようなので、話を聞くと色々気を紛らわせる事が出来たと言ってました。ある意味羨ましい。私の父は色々と私の話をよく聞いてくれた記憶があります。もしかしたら、私に兄弟姉妹が居なかったので、自分がその役を買って出てくれたのかもしれません。多分ね。それに転校に次ぐ転校で挙げ句の果てに、息子が転校先でイジメに会っていると分かれば、不憫にも思ってくれたのかもとも思います。いずれにしてもそういう点では、間違い無く父という人は子への愛情はとても深い人だったなあと思っています。『ありがとうございます…お父さん。』って感じです…アーメン!でも、僕の場合は、これにより救われていた部分が多かったのは事実です。大体人は、悩み事がある時は誰かが側で寄り添ってくれる事が一番なんですよ、きっと。私の場合は、それが父だったわけです。全くもって感謝、感謝です…

 で、聖書、それもイエスキリストの福音書を読むとね、まあ見事なばかりにイエスは虐げられているんですね。色んな反対勢力から。この辺読んでるとね、何となく感情移入しちゃいますよ多分。『何だ、イエスキリスト、お前もか』ってね。イエスキリストは虐げられ続けるんだけど、決して負けないんですよね。何よりも先ず逃げないの。いわゆるイジメっ子に真っ向から向かって行く、若しくは立ち向かうんですね。やられてもやられても、逃げずに立ち向かい続けるんです。いわば『戦い続ける』んですよ。なので、私も以前のblogで書いたんですが、そういう意味でキリスト教というのは『戦いの宗教』だと思うんです。そして最後の4番目の福音書、ヨハネによる福音書で、イエスキリストはこう言います…

★ヨハネによる福音書第16章33節(イエスから弟子たちへの言葉)

『…これらのことを話したのは、あなたがた(弟子)がわたし(イエス)によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。』

そう、苦難に直面したら、其処から決して逃げ出すので無く、勇気を持って立ち向かえと教えています。確かに、これは辛いしんどい事ですけどね。この時、仮に負けてもいいんです。勝つか負けるかにポイントがあるのでは無いんです。大事な事は直面した苦難、困難を逃げずに先ず受け止める勇気を持つ事、これなんです。というのも、もしここで逃げ出してしまえば、次同じ事があった時にやはり逃げるしかなくなる。その次も、そのまた次も…これだと、結局一生逃げ続けねばならず、永遠に勝利は無いからです。しかし分かります。こう言うと威勢は良いですが、いざやるとなると心身共に大きく疲弊しちゃいますよね、多分。それに場合によっては、何か大事なものを失う危険性もあります。これは勿論ケースバイケースですが。それでもどうでしょうか?こう思えませんか?ここ(福音書の中のイエス)に自分同様色々と虐げられている人が居る。でもその人はやられてもやられても、引き下がらず戦い続けて居る。辛い事もあるが、勇気を持ってそれを乗り越えようと頑張っている。このような姿を見続けていたら、きっと貴方の心の中にも、イエスの魂の光が宿るのではないかと私は信じます。だから、イジメに会ってるとするなら、先ず相手の眼をしっかり見据え、勇気を持って『止めろ!』と叫んでみて下さい。そこから必ずや活路が見出せると思います。上述しましたが、私はイジメられた経験も勿論ありますが、その逆に他人をイジメた経験もあります。でも、ある時相手から『止めろ!』とドヤされ、強い決意の目線を送られた時、心の中はたじろぎ、ホントドキッとした経験があります。以降私はその相手にチャチャは入れなくなりました。相手にもよると思いますが、一般的には効くと思うんですよ、そうしたいわゆる『覚悟』を持った姿勢、態度というものはね。そう、キーワードは、『勇気』と『覚悟』ではないでしょうか?福音書の中に生きるイエスの姿には、そうした力強さが満ち溢れていると信じます。なので、色々とお悩みをお持ちの方には、是非一読をお勧めしたいです…そしてそれが貴方に何らかの助けになってくれれば、私にとってこれ以上の喜びはありません…アーメン!