こんにちわ。皆さんお元気ですか?コーネリアスです。立秋が過ぎましたが、まだまだ暑いですね。おまけに此処福岡は連日蒸し暑い日々が続いています。まるで、梅雨に逆戻りしたかのような感じです。私コーネリアスは、生来汗かき💦なので、こんな気候はホント堪らないです。サウナに入っているような感じですよ、ホントに…早く涼しくなって欲しいな、なんて事を神に願いつつ話を進めて行こうと思います。
さて、今回は先だって77回目の終戦の日を迎えた事もあり、先の大戦、大東亜戦争、アメリカによるとそれは、太平洋戦争と言うらしいのですが、その戦争について、私コーネリアスなりの考えを述べさせて頂きたいと思います。特にその終了間際の蛮行、東京大空襲や広島、長崎への原爆投下という事にフォーカスしてみたいと思います。最初に断っておきますが、今回のお話は少々重たい話になると思います、悪しからず…
広島、長崎の原爆攻撃→これは明らかにジェノサイド!
東京大空襲→ホントに軍施設を狙った攻撃だったのか?
私コーネリアスは、子供の頃学校なんかで、また親からも先の大戦の事を教わりました。その時決まって戦争の悲惨さを教え込まれたものでした。『戦争はいかん!』、『戦争は悲劇しか生まない』そんな風な感じです。確かにその通りかと思います。そう、平和が良いに決まってます。特に、大戦終了間際の東京大空襲を始めとした日本各地への本土大空襲や広島、長崎への原爆投下を考えると、益々その思いが強くなったものでした。『当時の日本政府が、とっととポツダム宣言を受諾して降伏しなかったから、こんな惨禍にあったんだ』みたいな事を当時の先生たち言ってたよなあ…でもね、読者の皆さん、それってどうなんですか?
そもそもですよ、国と国の『戦争』とは何でしょうか?これ、色々調べてみると、国家間の戦争では、戦うのは軍人同士、兵隊同士であって、決して民間人を巻き込まない事というのが大原則なのだとか。即ち、双方武装した者同士であれば、殺し合ってもよいが、非武装のいわゆる民間人は絶対に攻撃してはならないというのが、戦争に関する国際条約で取り決められていました(ハーグ陸戦条約、ジュネーブ協定)。つまり兵隊は、軍人🪖は、仮に相手方の国民であっても『非武装の民間人』なら、決して銃口を向けてはならないわけです。この観点から考えてみた場合、じゃ、東京大空襲、原爆投下はどうなるのでしょう?アメリカ🇺🇸は、戦後すぐにこう主張したそうです…『日本各地に実施した大空襲は、其処に日本軍の施設があったからだ。また、広島と長崎に原爆を投下したのも其処に日本海軍の基地があったからだ。』なんだそうです。でも、それだったらその軍事施設だけ、ピンポイントで攻撃するのがスジというものではないでしょうか?先ほどのような国際条約もあるわけですからね。しかしそういう事はせず、いきなり原爆のような大量破壊兵器、爆発の規模も分かっていて使用するのは、民間人の犠牲も厭わないという事の証。そのお陰でどれだけの日本人民間人が命を落としたんでしょうかね。兵隊でもない普通の民間人がね。これは明らかに合理的説明がつきかねます。どう考えても、軍施設攻撃を逸脱した大規模攻撃であり、その結果無垢なる日本国民が死傷しても関係無し、というか、日本人に対するいわゆる『大量虐殺(ジェノサイド)』じゃないかと思うのです、私コーネリアスはね。この点については、子供の頃何故か学校では何も議論一つ無く授業は流されて行きました。結局、当時の先生たちの意見では、『悪かったのは、日本🇯🇵の側で、当時の政府が悪だったんだ。日本国民がそうした悲劇に見舞われたのも、元を糺せば日本政府の責任なんだ』と言った方向に話を進めていた事を思い出します。でも、本当にそうでしょうか?確かに国民を守りきれなかった当時の政府にも責任はあるかもしれませんが、何から何まで日本政府の責任にして、攻撃を仕掛けてきたアメリカは何のお咎めも無しというわけでしょうか?これだけの多くの日本人民間人を殺しておいてです。
ハッキリ言って、硫黄島の戦い迄は、日本軍も苦戦しつつもそれなりに兵と兵の戦いをいわゆる戦争を頑張っていたと思います。ですが、硫黄島陥落以降は、これはもう、戦争じゃない。アメリカ軍による、明確に日本人虐殺を視野に入れた攻撃、虐殺攻撃それが本土空襲だったと私コーネリアスは、断言します。つまり、硫黄島陥落以降の本土空襲というのは、最早これは戦争では無く、我々日本民族に対するいわゆる『民族虐殺』攻撃であったとみるべきでしょう。そして、その根底には間違い無く非常に強い『人種差別』意識があると思います。因みに悲しいかなこれは今でもそうです。もしかしたら、この意識は、彼等白人種のいわば『精神症』みたいなものかもしれません。ある種のコンプレックス或いは恐怖心があるのでしょうね。有色人種に…そもそも、どうして日本に原爆を落として、ドイツ🇩🇪には落とさなかったのか?一つはドイツがヨーロッパの中央部に位置している為、その後の放射能汚染で他のヨーロッパの国々に迷惑をかけたくないというのがあったと思いますが、一番の理由はそういう事では無く、彼等がある種同族、基本白人種同士であったからだと思います。おまけに宗教的にもほぼ同じですしね。そういう意味で民族的兄弟意識が働いていたんじゃないかと思います。これに対し日本は、島国ですし、隔離された状態なので、他国への放射能汚染の心配は考えなくていい。根本的に人種も違うし、宗教も文化も全く異なる。彼等から見れば、いわゆる『我々よりも劣った黄色人種の穢れた民族、猿のような民族』だったわけです。相手は『人』で無く『サル』なんだから、『いいじゃない、落としたって、原子爆弾、ねえトルーマン大統領…』みたいな感じで大統領執務室でやり取りがなされたんじゃないですかね…なので、私コーネリアスの意見を総括しますと、先の大戦は、硫黄島の戦い迄は、明らかにこれは『戦争』でした。がしかし、硫黄島の戦い以降は、これは戦争でも何でも無く、単なる日本民族への『大量殺戮(ジェノサイド)』だと考えています。そして、その根底、当時の彼等アメリカ人の根底にある思想が、明らかな人種差別意識だったと信じています。それを証明するトルーマン大統領の言葉が残されていますので、以下に写真と共にご紹介します。読んでいたら、ホント腹が立つ言葉ですが…
原爆投下を許可した米大統領、H.トルーマン
で、このような状況下、様々な意見が飛び交い混乱を極めた当時の日本国の政府内、陸軍、海軍内に於いて、たった一人だけ、一つの思い、願いを強く持っておられた方が居られたと思います。それが何を隠そう昭和天皇です。今米軍が我が国に対して行っている事は、最早戦争などと言うものでは無い。これは史上稀に見る日本民族虐殺行為である。このままでは我が民族は彼等に完全に根絶やしにされる。そんな蛮行をこのまま許せば、私は御先祖に対し申し開きが出来ない…これは、戦争という名を借りた、ジェノサイド(民族浄化攻撃)である。事ここに至っては…先祖たちが二千数百年来守って来た日本民族の血脈を私の代で終わらせるわけにはいかない…何としてでも私が我が国民を守り抜かねば…こうした陛下の強い思いが玉音放送に至ったのだと思っています。
最後に、先の大戦に纏わるこれは本当に『真実の話』です。実は、私コーネリアスの母の実体験の話です。私が子供の頃というか、大人になっても何回か母から聞かされた話なのですが、昭和20年6月頃のちょうど田植えの頃の話です。その日母は、姉(叔母)と母(祖母)と田圃の田植えを終えて畦道を歩いて帰宅途中でした。夕方だったそうです。3人で歩いていたところ、何か遠くから蚊の鳴くような音が聞こえたのだそうです。次第に音は大きく聞こえるようになり、音のする方を振り返ると一機の飛行機、そうまさに零戦のような戦闘機が目に入りました。当初、3人は『あっ、アレは零戦だ。でも、こんな田舎で何をしているんだろう。警備の為の飛行か?』と思ったんだそうです。で、その戦闘機は次第に3人に近づいて低空飛行を始めたのだとか…すると、隣に居た姉が『アレ、零戦じゃなかよ!日の丸のなかもん!』と叫んだそうです。すると、その直後何と機銃掃射が3人目掛けて…『バババババッ』…3人は咄嗟に田圃の中に身を臥し、弾を避けました。そしてすぐさま立ち上がると必死になって全力疾走して家まで走って逃げて行ったそうです。まるで戦争映画さながらな話なのですが、これは映画でも何でもありません。真実の話です。そう、この戦闘機は米戦闘機グラマンだったのです。母の実家というのは、福岡県朝倉市という所で、一言で言うとのんびりした田舎です。田園風景の広がる、ある意味戦争とは無縁の実に牧歌的風景の良い所です。女だけの農作業を終え、帰途中でこんな目に遭うなどとは夢にも思わなかったと語っていました。幸い3人とも無傷で、ホントに良かったわけですが、下手すれば、私コーネリアスは、今ここに存在出来て無かったかもしれないわけです…全く他人事とは思えない母の実体験談を聞かされた時、私コーネリアスは、この米パイロットに対し、何とも言えない怒りを感じたものでした。同時に、米軍の命令/教育は一体どうなっていたのか?福岡の田舎のそれも丸腰の女までも殺せと命じられていたのかと…母たちはどうにか命拾いしましたが、我が母までもが国際条約無視の卑劣な米軍の被害に遭っていたわけです…心から、『ふざけるな!』と言いたい…重ねて言いますが、これは真実であります。私コーネリアスは、これは戦争🪖などと言う生やさしいものでは無いと思います。これはジェノサイド(大量殺戮)です…戦争以上の卑劣な行為攻撃です。我ら日本人は、77年前にこうしたいわば悪魔的な行為を受けていたのだという事もしっかり知っておく必要があると私は思います。この点では私コーネリアスは、おそらく一生アメリカ🇺🇸及びアメリカ人を赦す気にはなれません。というか、しっかりと伝えたいですよね。彼等がやった事を子孫たちにね。で、どう考えるかは彼等子孫たちに委ねますが、先ずしっかりと本当にあった事を伝えて行かないと…これは彼等アメリカ人🇺🇸の為にもです。何故なら、隠蔽された歴史、隠された歴史からは真の意味での友情、絆は出来ないからです。仮に今後とも彼等が我々と良い関係を築こうと考えるならばという前提はありますが…
因みに旧日本軍の事を、戦後絶対悪のように喧伝しまくるメディアや映画がありますが、事実はこれも全く逆です。私も先の大戦については自前で色々調べましたが、旧日本軍はそれはそれは国際条約を重んじ、しっかりと律儀に守っていたそうです。真珠湾の際に確かに民間人も多く殺傷する結果となってしまいましたが、あの時の攻撃はあくまでアメリカの海軍施設ターゲットの攻撃であり、其処で勤務していた民間人がいわゆる巻き添えを食らったというものでした。従って、東京大空襲や広島長崎とは事情が根本的に違います。日本軍はあくまで堂々と『戦争』をしていただけだったのです。また、中国🇨🇳で起きたと言われる、いわゆる『南京大虐殺』も中国側の大嘘です。でっち上げの歴史です。日本の関東軍はそんな事は断じてやっていません。これについても色々調べたので、今後別の機会で論じようと思っていますので、ご期待下さい。
さて、旧日本軍はどうしてそんなにも律儀で真面目にルールを守っていたのか?私コーネリアスは、その根底にはいわゆる日本人ならではの『武士道精神』があったのだと信じます。『陛下の皇軍たる我々には、先祖から受け継いだ伝統的武士道精神がある。よって陛下の皇軍たる我等がルール無視の汚い戦など出来ようはずもない。もしやれば、それは武士道にも反し、且つ陛下のお顔に泥を塗る事となる。断じて許されね。』とね。古臭いとお考えの方も多いと思いますが、私コーネリアスは、これは何とも美しい気高い精神だと思っています。悲しいかな、こんな事も絶対今日教科書には書いてないですよね…真実の歴史は勝者によって書き換えられるので、仮にその勝者が神で無く悪魔でも…そして人間はこうした真実を隠されたまま、また新たな歴史を刻んで行くのでしょうね…力ある者の都合の良いように…
★77回目の終戦の日の祈り
『御在天の父なる大神様、先の大戦において予期せね死を迎えられた全ての日本人、特に多くの一般民間人の方々の御霊にどうかあなたの平安をお与えください。あなたの癒しと愛をお願い申し上げます…今もそして永遠に。アーメン