こんにちわ。皆さんお変わりありませんか?コーネリアスです。今回は、旧約聖書の中にある、ちょっと気になる記述についてお話してみたいと思います。これは、或る人の動画で紹介解説されていた事なのですが、その動画の中で、旧約聖書の申命記とイザヤ書に日本に関する記述があるぞという内容であったのです。で、実はこの箇所は、私も過去に読んだ事があり、その時同様に感じた記述でもありました。早速その箇所を以下に抜粋してみたいと思います。

 

★申命記第4章 偶像崇拝に関して、モーセからユダヤ人たちへの警告の箇所 (新共同訳聖書)

25  あなたが子や孫をもうけ、その土地に慣れて堕落し、さまざまの形の像を造り、あなたの神、主が悪と見なされることを行い、御怒りを招くならば、

26  わたしは今日、あなたたちに対して天と地を呼び出して証言させる。あなたたちは、ヨルダン川を渡って得るその土地から離されて速やかに滅び去り、そこに長く住むことは決してできない。必ず滅ぼされる。

27  主はあなたたちを諸国の民の間に散らされ、主に追いやられて、国々で生き残るものはわずかにすぎないであろう。

 

28  あなたたちはそこで、人間の手の業である、見ることも、聞くことも、食べることも、嗅ぐこともできない木や石の神に仕えるであろう。

 

29  しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。

30  これらすべてのことがあなたに臨む終わりの日、苦しみの時に、あなたはあなたの神、主のもとに立ち帰り、その声に聞き従う。

磐座

 

御神木

 

国宝 弥勒菩薩像

 

お地蔵さん

 

 書いてありますね。ハッキリと。確かに日本の神道では色んなものがいわゆる御神体とされています。その中には、確かに木や石なんかもありますよね。注連縄なんかがしてあるのをよく見かけます。またここでは、人による手の業ともありますから、例えば、仏教の仏像やお地蔵さんなんかもこれに当たると思います。こうなると、『うん、これは確かに日本の事なのかなあ』なんても考えてしまいます。可能性としては、否定できないと思います。ただ、この頃木や石を神、若しくは神のシンボルとして崇拝していた所、地域がまた別に沢山存在するのなら話は変わって来ますけどね。そうした事もあるので、これだけじゃ日本のみの事と断定出来かねるようにも思えます。つまりそうした多くの地域の中に日本も含まれる、と言った方が正解じゃないですかね。そういう意味では、ま、『日本も』と言って良いように思います。それにしても凄いですよ、申命記は。書かれたのが約紀元前7〜6世紀頃なのに、後に彼等に起こる悲劇、ローマ帝国によるディアスポラを見事に予言し、的中させています。史実は実際書いてある通りになりました。ちょっと日本の事とは関係ないですが、そういった意味では凄いです、モーセ。6、700年後の事を言い当てるなんてね。ただ願わくはこれが良い予言だったら良かったんですけどね、ユダヤ人たちにとって…

 私がここで注目したいのはその後の節、29節、30節です。この申命記第4章でモーセが語っている事は、ざっくり言えば、偶像崇拝の禁止という事です。何故なら、それはモーセが神から言われた事だったからです。有名な『十戒』にも書かれていますからね。でも、仮にそれを破り、偶像崇拝を行ったとしても、一時的に別の宗教に入ったとしても、最終的にそれを止め、自分たちの神、主のもとに立ち帰るなら、その時は神はあなたを暖かくお迎えくださるよ、と語っています。ここはとても大事なところですね。仮に過ちを犯しても、考えを改めて立ち帰るならば、この神様はかようにも暖かくお迎えくださる、とても寛容で情に厚い神様ですよとモーセ自身が語っています。全くもってアーメンであります。さて、次にイザヤ書の記述をご紹介しましょう…

 

★イザヤ書第24章15、16節 主への褒め歌の箇所 (新共同訳聖書)

15  それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び、海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。

16  地の果てから、歌声が聞こえる。『主に従う人に誉れあれ』と。…

 

 うーん、これも確かに意味深ですね。東の地、島々、地の果て、といった言葉ね。確かに日本は極東、ユーラシア大陸の東の果ての国だしなあ。それに日本は日本列島。幾つもの島々から成り立ってるしね。全て条件には当て嵌まってはいます…?じゃ、やはり日本の事かもしれませんね。古代におそらくやって来たであろうユダヤ人たちの事かもしれない。秦氏みたいなね。そう考えると、16節のように神に祈りを捧げていたんだろうな、ここ日本から彼等の故郷西方のカナンの地に向けてね…これも可能性としては大ありです。アーメン!

秦氏のリーダー秦河勝。彼自身はネストリウス派(キリスト教徒)だったと伝えられています。