こんにちわ。皆さんお変わりありませんか?コーネリアスです。今回は、幕末日本に来日した外国人の手記を通し、江戸末期の日本の状況、更に明治維新というものを再考してみたいと思います。

 先ずご紹介したいのは、1866年(慶応2年)に来日したデンマーク人🇩🇰E・スウェンソンという人の手記です。彼は日本の庶民家屋に強い関心を持ったみたいです…

E・スウェンソン氏

 

『庶民の家屋を見ると、頑丈な木の壁があるのは家の両横だけで、正面と裏には、木綿布のような白い紙の貼られた左右に動かせる戸が付いている。この紙は、どんなに貧しい家でも、1年に何回か張り替えられている。なので、これと木造の柱の自然の配色が、家がいつも新築であるかのような好印象を与えている。こうして見ると、あらゆる方面で発達している日本人の『美的センス』は、どんな種類の塗料、ラッカーよりも白木の自然な配色を好むのが分かる。』

 分からないでもないですね。だって彼等欧米人の家は、石、レンガ造の家ですから。日本の木や紙を使った家なんかは珍しくてしょうがなかったでしょうね。因みに白い紙の左右に動く戸というのは、障子のことでしょうかね。彼にはこうした庶民の素朴な家屋がとても美しく映ったようですね。そして彼が更に驚いたのが、防犯上こんなちゃちい、いわゆる『木と紙』の家であるにも拘らず、人々が家に鍵さえ掛けない、というか、そもそも家に鍵が付いていない事、これに大変驚いていました。そう、という事は、此処が何処かは知りませんが、泥棒さんなんかが居ない所だったんでしょうね、多分。これには、スウェンソン氏も脱帽といったところです。『日本って、何と治安の良い国なんだ!』とね。この日本の治安の話については、ロシア人🇷🇺のイブラヒムさんという人も興味深い手記を残しています。実はこの人の来日は、1909年(明治42年)なので、先のスウェンソンさんよりも60年後なんですが、こう書いています…

『日本の治安は完璧だ!町であろうと村であろうと、盗難などの発生は滅多にない。私はよく日本の野山を歩き回った。途中で疲れて木陰なんかで眠りこける事もよくあったが、手荷物なんかを盗まれた事なんか一度も無かった。また、滞在していた宿の主人なんかを見ていても、鍵を掛けるような習慣はそもそもが無いようだった…』

 ここから分かるのは、少なくとも幕末〜明治末期迄の日本のおそらくは地方都市では、殆ど泥棒なんて居なかったという事ですね。全くもって、驚きです。当時の日本の治安の良さは多分世界一だったのではないでしょうか?だって当の外国人さんがビックリするほどですからね。おそらく自分の国と比較してるんだろうな…

 さて、ここまでは比較的良い話、幕末日本についての美談集と言ったところなのですが、これからご紹介する手記は些か、重たく感じるものです。手記の書き手は、幕末来日し、徳川幕府と日米修好通商条約を結んだアメリカ公使、タウンゼント・ハリスです。こう言っています…

アメリカ公使、T・ハリス氏

 

『この土地(下田)では、一般庶民は貧しく日々生活するだけで精一杯で、オシャレに気を使う余裕も無いようだ。それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけ食べており、着物にも困ってはいない。何よりも子供たちがとても元気で、皆笑顔が絶えない。家屋は何処も清潔で、日当たりも良くて気持ちが良い。おそらく世界の如何なる地方に於いても、労働者の社会で下田におけるよりも良い生活を送っている所は他にあるまい…

しかし、疑いも無く(日本は)新しい時代が始まる。私は敢えて(自分に)問う。(こうする事=日本に欧米型の近代化を導入させる事が)真の日本の幸福となるのだろうか?』

 また、彼(ハリス)の通訳官であったヒュースケン氏もこう言っています…文章から類推して、氏はかなり敬虔なクリスチャンだと思われます…

『今や私が愛しさを覚え始めている国(日本)よ。この進歩は本当にお前の為の文明なのか?この国の人々の質朴な習俗と共に、その飾り気の無さを私は賛美する。この国土の豊かさを見、至る所に満ちている子供たちの楽しい笑い声を聞き、そして何処にも悲惨な所を見出す事が出来なかった私は、おお神よ、この幸福な情景が今や終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼等の重大な悪徳をこの国に持ち込もうとしているように思われてならない…』

 

 どうでしょうか?両アメリカ人🇺🇸のこの手記、何か意味深ですよね。彼等は当時のアメリカの知的エリート層の人たちです。そうした彼等から見た時の印象、感想です。特にヒュースケン氏の最後の文なんかは、『西洋が日本にもたらすであろう重大な悪徳』ですからね…それなら御免被りたいと言いたいですよ、本音のところは…彼等は、幕末この日本にほんの数年ですが居住しています。住み着いています。そして庶民の生活もよく観察しています。もしかしたらスパイだったかもしれませんが。ま、そんな事は抜きに、そうやって日本に住んでみて彼等は彼等なりの感性で、日本の良いところを沢山発見したのだと思います。で、これから日本が近代化するにあたりおそらくは無くなるであろう、惜しいもの、勿体ないものも見えていたのではないかと思うのです。近代化と引き換えに日本が喪失せねばならないものをね。で、そこに価値を見出してしまった…そういう構図ではないでしょうか?きっと彼等なりに、罪悪感ではないですが、複雑なものがあったように思えます。逆言うと、それくらい幕末の我が日本国は世界的に見て価値の高い国であったと言って良いのではないでしょうか?

 こう考えると、それでは明治維新とは一体何だったのか?となっちゃいますね。だってそうでしょう。当時のそれもアメリカのエリートさんが見て、日本はいわば理想国家だったんですよ。もしかしたら、民の幸福度という点では日本の方が100年くらい世界の先を行っていたのかもしれない…そうも思えます。それならわざわざ鎖国を解いて、戊辰戦争までして明治新政府なんか作らなくてもよかったんじゃないですかね。というのも、歴史的にここからですよ、我が日本に国際金融資本、いわゆるグローバリストたちのいわゆる『魔の手』が入り込むようになったのは。前述のヒュースケン氏は、もしかしたらそれが分かっていたのかもしれない…そんな文章にも私には思えます…