こんにちわ。皆さんご機嫌いかがですか?コーネリアスです。今回は、天皇陛下が国事行為としてなされている、とても大事なお仕事、『親任式』というものについて考えてみたいと思います。

親任式は皇居で行われる。

 

 親任式というのは、いわゆる天皇陛下の国事行為の一つで、日本国の要職者(内閣総理大臣等)を任命する為の儀式であるとされています。この点は、日本国憲法にも明確に記述があります。

★日本国憲法第六条(天皇の国事行為)

天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

②天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

上記のように記述があります。なので、この国では選挙で総理に選ばれた人は、必ず後日皇居へ出向き、天皇陛下から親任式を受けなければならないわけですね。この親任式が上記条文でいう、任命という事ですね。

 さて、ところでそもそも何で天皇陛下の親任式を受けなければならないのでしょうか?何故、日本の政治のリーダーである総理大臣は、天皇陛下からわざわざ任命されなければいけないのでしょうか?何でわざわざ憲法の条文にまで規定があるのでしょうか?普通に考えると、現在では、天皇陛下は政治はなさらないわけだから、このような政治的な事に関係無いようにも思えます。にも拘らず、どうして総理大臣や最高裁長官の任命などと言ったお仕事をなさっているのでしょうか?実はこれには我が国日本の歴史とそのお国柄(言い換えれば国体)というものが関わってきます。ちょっと言い換えると、日本の伝統と言っていいかもしれません…

 我が国日本は、歴史の長い国ですが、古くから色々な国家的政治リーダーが存在してきました。奈良平安時代なら摂政、関白と言った官職です。で、これが武家政権、鎌倉時代以降になると征夷大将軍という官職が登場してきます。いずれもこの日本という国の国家的リーダーなわけです。そんじょそこいらの町内会長などとはわけが違います。で、過去の歴史を調べると、これら官職の任命には全て天皇が関わっておられたのです。天皇という御存在は、基本昔から直接政治はなさっていなかったようなのです。太古の昔から、この国の舵取りは、それに相応しい人、そうした能力を持ち合わせた人を天皇が任命するという形というか、システムを持っていたようなのですね。つまり、天皇が国のリーダーとして相応しい人に、様々ないわゆる『権力』を『預ける』という形になっていたわけです。本来なら、太古の昔にこの日本を統一し、大和朝廷をお作りになったいわゆる天皇家が、例えて言えば徳川幕府がそうだったように、世襲制を取り支配者として君臨し、政治をやられてもよかったのに、とも思うんですけどね。普通の外国のいわゆる王朝なんかはそうじゃないですかね。ロシアのロマノフ王朝やフランスのブルボン王朝、その他多くの王朝なんかはね。つまり、通常は支配者というのは、『権威』と『権力』の両方を併せ持っていると思うのです。一番分かり易いのが、かのローマ帝国の皇帝ですね。あの当時ローマ皇帝は、一般庶民から見たらまさに『神的』権威を持ち、且つ当時最強の軍隊ローマ軍の総帥でもあったわけで、これまた圧倒的な『権力』も持っていました。『権威』、『権力』双方がローマ皇帝の手中にあったわけです。圧倒的な支配者、統治者ですよね。けれど、日本の天皇の場合は大昔から、そういう選択をなさらなかった。御自分の下に『権威』はお残しになられたが、『権力』は切り離され、それに相応しい人に『お預けになる』という形を取られたのです。他者に大きな大きな国家的『権力』を預けるわけですから、そこには並々ならぬいわゆる『信頼関係』というものが存在していたという事も容易に想像できますね。いずれにしましても、太古の昔からこのような、ある種ユニークな国家統治体制を取っていて、その伝統が今でも続いている国は、私は日本だけじゃないかと思います。過去にも本blogで一度使用した資料ですが、この辺の話を分かり易く図にしたものがありましたので、ご紹介したいと思います。以下の通りです…

古くから我が日本国は、『シラス』国であります…

 

 古い歴史書『記紀』にも記述がありますが、我が日本国は『シラス』国なのだそうです。『治す』と書いて『シラス』と読みます。因みに大和言葉です。これは日本書紀に記述が見られます。その中で、国民という存在は、天皇から見た場合、『大御宝(オオミタカラ)』な存在、宝物であるとされています。全く恐れ多い事です。で、この御自分の宝物である国民の為に政治を執り行う人、この国や民を統治する人に大いなる『権力』を委譲されているわけです。なので、いつの世も『この立場にある人』は責任重大なわけです。天皇からしたら、『美しい我が家であるこの国と、宝物である我が家族のような民をしっかり守って下さいね。お願いしますよ…権力者さん。』こんな感じなんじゃないでしょうか?この立場の人、鎌倉時代なら源頼朝、今なら岸田総理ね。で、ここからは若干日本のお国柄というか、国体的な話になりますが、同じく日本書紀には、以下のように記述があります…

鎌倉時代なら、源頼朝が日本の政治的リーダーだった。

 

今はこの人、岸田総理。貴方の責任は重大ですからね。

 

●日本書紀より現代語訳にて

『シラス』とは、武力や権力で『力の支配(ウシハク)』を行うのではなく、国=家、国民=家族と理解し、天皇が国と民に深い関心を持って広く『知り』、国民一丸となって稲(富)を利する事で、幸せな国を作るようにと天皇が、『臣に権力を与える』国造りを目指します。

深い結び付きの中で『国と民を広く知り』、その在るべき姿を天皇自らがお示しになられる事で、『共に歩み、共に育んでゆく』という姿勢で治(おさめ)る『国のあり方』が最上だとする考え方なのであります。

 因みに上記で言う『ウシハク』とは、『ウシ』→主、主人=支配者、王で、『ハク』→剣を身に付ける=武力の所持を意味し、力による絶対支配をする者という意味になります。先に挙げたローマ皇帝などがこれに該当します。

 こういう長い長い歴史的背景から、現在も親任式なるものがあるわけです。これこそまさにある意味で政治の中での日本の伝統、今も生きる日本の国体と言って差し支え無いと思います。守らないとね。そしてしっかり後世の子孫たちにも継承しないとね、こうした美しき良き伝統は。そう思いませんか、皆さん…