こんにちわ。皆さんご機嫌いかがですか?コーネリアスです。今回は、私コーネリアスが、死というものについて、ふと思った事を書き記したいと思います…

死とは、死の当事者以外に影響を与えるものでは?

 

 皆さん死というと、どんなイメージをお持ちでしょうか?『悲しい事』、『別れ』、『忌むべき事』、『縁起悪い』、『暗い事』、『考えたくもない事』、『死=悪』、『死=闇』…そうですね、ホント色々あると思いますが、一般的に言って、良いイメージは当然ですがないですよね。そりゃそうでしょう。この世での我々の『生』の終わりの事なんですから。でもね、この死というものをよ〜く観察してみると、人が死んだ時、その死の影響を受けているのは、その人つまり死んだ当事者以外の人々じゃないでしょうか?例えば、私は3年前に親父を亡くしましたが、喪主だった私は、葬式の準備やら、親戚に連絡等々で色々大変でした。亡くなった直後は悲しい思い、寂しい思いは当然ありましたが、その直後の現実、葬儀の手配やら何やらで、あまり悲しみに浸る暇は正直ありませんでした。親父の最後にも立ち会いました。病院から危篤の連絡があり、『今夜が山場だ』との事だったので、病院へ行き、深夜の3時ごろでしたか、最後を看取りました。親父の最後は眠るようでした。苦しむ様子はありませんでした…でも不思議な事ですが、なんかふんわりした気持ちというか、感情に包まれた自分が居る感じがしました。この時私はこう思いました。『こんなに長い時間親父と接するのは、久しぶりだ』とね。全く親不孝というか、自分の生活の事ばかりで老いた父親とゆっくり話す時間も持たずにいた自分を改めて駄目な息子だと、心から思ったものでした。

 でも考えてみれば、親父の危篤から死に至るまでは、間違い無く多くの人に影響を与えています。私、私の妻、孫に当たる私の息子、妻である私の母、病院の担当医、担当の看護師等々です。これ、本人の意思とは無縁の事です。という事は、人の死というのは、確かに本人以上にその周りの人々に色々と影響を与えるものと言えますね。これに近い話は、以前解剖学者の養老孟司先生も動画で仰っていました。『人の死というものは、その当事者以上にその周りの人、関係者に色々と影響を与えるものだ。』とね。葬式なんて、よく考えれば、その主役である筈の当の本人は、既に死んでしまってるわけで、いわゆる『意識』はないわけです。意識の無くなった、永遠の眠りについて神様の元に行った主人公を、その関係者たちが粛々と手順に従い式を進行させて行くわけですね。そう、そういう意味では確かに間違い無く、周りに影響を与えていますよね…