ブラジル出張最終日、飛行機が遅い時間だったので、時間があれば
ある場所に連れて行って欲しい、と伝えてありました。
ナビゲーションを頼りに
大大大渋滞のサンパウロ市内を走ります。
とにかくすごい渋滞。
時間帯問わずのろのろ運転です。
高級ホテルが並ぶ付近を過ぎて、郊外に向かいます。
そして到着。
入口にある花屋さんで
真っ赤なバラを買いました。
黄色い菊と迷ったのですが、赤にしました。
警備の人にどこ?と聞いたら「ブラジル国旗があるところ」という回答。
遠くにはためくブラジル国旗目指して、歩きます。
そして到着。
Ayrton Senna Da Silva のお墓です。
高級マンションが並ぶ丘にあったセナのお墓。
国民的英雄にしては小さなものでした。
死後約20年経っていますが黄色い花が手向けられていました。
誰かが作ったマクラーレンも飾られていました。
1994/5/1 イモラサーキットで開催されたF1 サンマリノGP、
タンブレロコーナーでウォールに激突し、短い生涯を閉じた
ブラジルのそして私の英雄 アイルトン セナ。
中学生時代F1が大好きで、セナが大好きだった私にとって、
セナの死は衝撃でした。
セナの死後、親に頼んで鈴鹿サーキットに作られた献花台(F1マシン)に
花を手向けに行きました。
事故の記事をスクラップし、写真集もいっぱい買いました。
でも、やっぱり遠くTVの向こうで起こった事故は信じられませんでした。
死後19年、出張という機会を得、私の心に一つの区切りをつけに行きました。
お墓に近づくにつれ、想いが高まりました。
会社の人もいたので、号泣、というわけにはいきませんが、涙が出ました。
20年経ちましたが、青春の1ページを閉じることができました。
ありがとう セナ。
隣のお墓はあいていました。
買いたいけど、誰もお墓参りに来れませんね。。。
お墓のすぐそばでセナの壁画があるお店がありました。
私も持っていた NACIONAL銀行 のロゴの入った帽子をかぶったセナと
鈴鹿でプロストに接触させチャンピオンになった
Honda Marlboro McLaren MP4/5B。
サンパウロの空港からサンパウロ市内に向かう高速道路は
Ayrton Sennaロードという名前です。
現地スタッフから聞いた情報では、
Ayrton:ファーストネーム
Senna:お母さんの名字
Silva:お父さんの名字
だそうです。
その後10時間のフライトでミシガンに帰ってきました。
気温差約40度、寒い。
でも、時差が少ないのは素晴らしい!
すぐに生活に戻れました。