kyoukoのひとりごと

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思ったこと、感じたことを、気の向いたときに書いてます。
楽しい事も愚痴も悲しみも喜びも、、、
一人ってダメなんだな^^;

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無償に母が恋しくなる時があります。
この年で嗚咽して泣いてしまう。
車の運転中、シャワーを浴びながら、ベッドに入って、1人の時にどうしようもなく、会いたくなってしまう。

これってこの先もずっと?…
お母さんて偉大だなぁ。
特にすっごーい仲良し、って訳でもなく、いつも一緒にいた訳でもない。
ただそこに居てくれるだけで、良かった。

期待なんてしてなかった笑
娘はアルバイトも緊急事態宣言で出来ず、息子は受験生で毎日塾通い。
が…まさかの"お母さんいつもありがとうございます♪"と、顔を見て2人ともそれぞれ言ってくれました。
楽しい家族でありたいと思っていても、適当な2人にイライラし、やっぱり文句を言ってしまう。
塾通いしていても身にならない息子についつい諦めそうになる。
けど、きっと本人も悩んでる。
なんだけど、言うべきことははっきり言わなきゃと、言いたくないこともしっかり伝えて来たつもり。
だから、私のことなんてうざったいだろうなぁと思ってる。

だから、顔見て言ってくれたことが本当に嬉しかった。2人ともありがとう😊


私は、旦那のお母さんにはお花とカステラ、実家には鉢植えの花を持って行きました。お母さんお花💐好きだったから。

ちなみに、今日のお父さん。
帰るときは、車が出やすいようにいつも誘導してくれる、85歳。
疲れる、疲れた、いつも1人で頑張ってるけど、どうぞもっともっと元気でそばにいてください。
可愛いお父さん、笑ってくれてありがとう。

一周忌の法要を無事に終えました。
お天気にも恵まれ、薔薇が満開🌹で、本当に綺麗。
この墓地を選んで正解だったな。
生前母が気に入っていた場所。
墓地らしくなく、明るい入りやすいガーデン墓地。
今日もたくさんの人がぷらりとお参りに来てた。
人が大好きでお話しが好きで聞き上手だった母。
賑やかな場所だから、寂しく無いね!良かったね!

4月24日
義父の命日です。

当初このブログに書いていた、死に目に会えなかった義父の…。見方だった義父。
もう9年経ちました。

朝から愛犬と一緒にお墓参りに行き、夕方からは義母の顔を見にオハギを持って行きました。
亡き義父の話をたくさんしてきた。
一時帰国時、私たちがいるときは進んでそうめんや、チャーハン、お昼ご飯に作ってくれ、丁寧なチャーハン作りに感激したこと、義母に話しました。
命日に故人を偲び、義母と一緒に餃子たべながら、ビール🍺1本飲んだんだ。

なかなか土日に重なる事なかったから…
ちょっと良い時間が持てました。
良かった。義母も寂しい😞よね。

先週の金曜日もだったけど、明日も実父の病院予約日。
明日は腹部動脈瘤の定期検査。
何箇所かあるんだけど…
どうか変化ありませんように。
神様、お願いします。
朝早いけど、頑張ります‼️


2020年5月20日23時半過ぎ、家の電話が鳴り、なんとなく胸騒ぎがしながら電話に出ると姉からでした。
母がお風呂の中で顔をつけ、息をしていない、なんとか引き上げこれから救急車で病院に向かうと。
死んじゃったかもしれない…
衝撃的でした。一瞬息が出来なかった。

病院に行かなきゃ…でもビール🍺飲んじゃった…タクシー🚕か電車か…頭の中がグルグル。気づけばポロポロ泣いてる私に寄り添ってくれたのは娘でした。
20歳になったけどまだまだ子ども、としか思ってなかったけど、1人じゃ行かせられない!一緒に行く!って。
うちの旦那さんはいつも冷静で、意外と淡々としている。行く気はなかったと思う。
娘が、こんなお母さんを1人で行かせていいのか!って、お父さん行かないなら私が行く!と、いつの間に頼もしくなったんだろうか。
結局3人でタクシーで病院に向かいました。

姉の旦那さんと高校生の甥っ子がお風呂から引き上げ心臓マッサージし、救急車でもしてくれたけど、母は戻って来ませんでした。
姉夫婦は実家から10分くらいのところに住んでいて、父母は2人で暮らしてました。補聴器があってもあまり聞こえない父が第一発見者。21時ごろにお風呂に入ってる姿を影で見ていて、なかなか寝室に来ないので、気になって中をのぞいたら、お湯に顔をつけていたそうです。
助けを呼んでいたんじゃないか、もう少し早くのぞいていたら、と、父は今でも後悔の念が絶えません。
検死の結果を警察で聞いたとき、母は苦しんだのですか?と、聞きました。
苦しんだりもがいたりした様子はありません、おそらくすっと眠るように意識が無くなったんだと思います、と教えてくださいました。
少しは父の心が救われました。

入院の末、最後のお別れをして旅立つ人もいるし、母のように突然旅立ってしまう人。
覚悟のないまま居なくなってしまったから、、、私の心も未だ晴れません。

母は1番の私や子どもたちの理解者でした。
どんな時も味方で、私が子どもたちの文句を言っても、絶対に2人とも頑張ってる、うちに来てもあんなに集中して勉強してすごいなぁと思うよ、良い子だよ、って。けなした事は1度もない。
こんな私の事もいつも褒めてくれる、優しい母でした。

でも、きっと本当に1番辛いのは父。
ずっと二人三脚で暮らしてきた。
身体は元気だけど耳の不自由な父、しっかりしているけど足腰悪くしてからあまり歩けなかった母。
父は毎日整形外科まで送迎し、買い物行き、母は美味しい料理を作っていました。
母は聞き上手で友達がよくお茶を飲みに遊びに来てたな。

お母さん、お父さん頑張ってるよ。
今日も私がお昼の支度をしに来てくれるんじゃないかなぁーって思ってたんだ、って、顔を見て嬉しそうに言ってくれた。今日もたくさん話をしてくれて、可愛くてこっそり写真撮るんだけど、なかなか良い写真が撮れないのよね笑

土日は趣味の競馬🏇予想に忙しい父。
100円ずつしか買ってないらしいけど、今はそんな楽しみがあって良かったなと思います。