今日、母が定年退職の日を迎えた。

39年の看護師人生。

今回の東日本太平洋沖地震で被災した仙台。
そこで定年最後の日まで走り続けたお母さん。

明日からはまた別のかたちで
看護師を続けることになった。

まだまだ続く、看護師人生。

私はたったの6年。

「まだまだ!かわいいもんだね!」
               と母。
本当、まだまだ追いつけないね。

お花のお祝いも被災地のため受け付けてもらえず、
電話で感謝を伝えた。


いつの日か肩を並べられるくらいになれるかな。


お母さん、
本当にお疲れ様でした。


新幹線が復旧したら、
お母さんが大好きな花束を抱えて行くよ。


地震から2週間以上が経ちました。
地元の友達のブログ、心が落ち着きました。ありがとう。


母とは震災後1週間が経って。
入院していた92歳の祖父とは、2週間が経って
ようやく声を聞けました。
無事とはわかっていても、声を聞くまでは安心できず、
心配が募るばかりでした。

私は遠く離れているけれど、
今回は本当に衝撃的で悲しかった。
実際に被災地にいるみんなが
どれほど心を痛めているかわかりません。

2週間の間に、
父からは、ぐちゃぐちゃになった私の部屋を片付けていたら
貯金箱があり、1542円あったから、
義援金とあわせて募金するとメールがありました。

母は病院スタッフのために毎日おにぎりを握って
持って行っているとのこと。

私が働く病院にも被災した地元から患者さんが運ばれてきたり、
逆に地元に向けて救援チームが派遣されています。
私も救援チームに応募はしましたが、
病棟業務との兼ね合いもあり、参加は難しそうです。

地元に行って、直接的に関わることだけが支援ではないと、
うちの病院スタッフは言ってくれました。
行ける人が救援チームとして行き、
その人がいない病院を守るのもサポートだと。


まだまだ長くかかるであろう復興に、
多くの人が携わっています。


正直、被災地にいたわけではないのに、あまりの衝撃に、
私もこの2週間、まともではいられませんでした。


でも、少しずつ前に進まなければならない。
震災直後から働き続ける自衛隊、消防、医療関係者、
自治体や、各専門科、地域の皆様には
心からの感謝と敬意の気持ちでいっぱいです。


東北人は自然の厳しさをよく知っています。
地震や津波の怖さも。
でも、今回はあまりにも厳しかった。

それでも、
またその地に根を張り、立ち上がることを信じてやみません。


そして、未だ安否が確認されていない方々。
特に、福島県は地震、津波という自然災害に加え、
もはや人災と思われる原発問題で、三重苦の状態です。

原発から20、30km圏内は、手つかずの状態と考えられ、
物資の輸送はもとより、
住民の救出、遺体の捜索も進んでいません。

どうか福島県の原発付近、周辺地域への支援をお願いします。
Twitter、mixi、Facebook、
あらゆるネットワークでの拡散をよろしくお願いします。


地元が被災しました。


情報が錯綜し、必要な情報が十分に入って来ません。
未だ安否の確認ができない人、連絡したくてもできない人が大勢います。

計画停電、原発の問題、関東圏での大規模地震への懸念など、
不安から食べ物や物資の調達、買い占めが始まっているこの混乱した事態。


・大切な情報がやり取りできること
・危険にさらされている人が安全な場所に避難できること
・必要な場所へ必要なものが届くこと
・必要な医療、看護が安全に受けられること


この混乱した状態を、きちんとした説明と行動をもって、
早期に沈められることを願っています。

家族がそれぞれの家族に会えるよう、どうかお願いします。


SAVE JAPANというPROJECT
http://savejapan.simone-inc.com/
※被災された方、その家族への情報が各都道府県別に整理されていますが、
 それでも情報量が多いので、必要そうなものをチョイスして下さい。

友達のTwitterから→看護ボランティアへ行く方へ
         兵庫県立大学地域ケア開発研究所のPDF
   http://www.coe-cnas.jp/pdf/001.pdf