数万年ぶりにmixiを開いたよ。
色々見返してたらなんか懐かしくなってきたので、誰も見てないと思うけど、むしろ誰も見てないからこそ好き勝手に日記を書こうと思う。久々に。
そもそもmixiを開いたキッカケは、mixiがなんだかんだ出会いの場として、まだ利用できるんじゃないかって思ったから。
9月の頭に、けっこう好きだった、というか友達としての「好き」がようやく恋人としての「好き」になり始めていた彼女にフラれた。恋愛で気持ちが揺さぶられることって今までそんなになかったからビックリだよ。でも、落ち込んでるところから復帰するには行動するしかないってことは知ってるから、俺はすぐさま行動することにした。
とはいえ今までの人脈に手を出す気にもなれないし、新社会人としてようやく社会に出て営業に配属されたり、なんだかんだ大学で色々経験したりして出会い(品のない意味ではない)の重要性に気付き始めていた俺は、新しい出会いを求めて、その中でついでに彼女でも作れればいいなと思った。そして、その行動に気を取られて、このしんどさが紛れてくれることに期待した。
手始めに、いくつかの出会い系サイトに登録して、ちゃんとお金も払って活動を始めた。はじめましてー、からお互いを知るまでを使い勝手の悪いメッセージツールで行うのは本当に苦痛で、その中で会うまで漕ぎ着けたとしても「この人ほどの熱意はないから、なんか関係を続けるのも申し訳ないな」とか、出会い系やってるくせに心は今まで通り少し冷めてて、なんとなくその先に発展することはなく…。
それでも何か、気持ちを前に向かせるためにあれやこれややってたところで、mixiに流れ着いた次第である。
7.8年前の日記を読んだ。荒削りながら、読んでくれる友人達のために、少しでも面白いものを書こうとするかつての自分がそこにはいて。そして、今では考えられないほど自分の感情を露わにしていた。いつしかそういう行動を嫌うようになって久しい2016年現在の俺からすれば、これは意外なことであった。
それと同時に、今は昔の気持ちになれないまでも、昔の気持ちを忘れないように生きていることを自負していた俺は、そんな期待とは裏腹に、この何年もの間、かつての自分の気持ちを貶め続けていたという事実を突きつけられた。
行動が問題なのではない。実際俺の偏屈な内面は表に出さない方が上手くいくし、それを取り繕うスキルだって、ある程度は身につけてきたつもりだ。ただ、あの頃「そんな自分がいた」という事実を忘れ去っていたことがショックだった。
大学5年間、様々な出会いや経験を得ることができ、人間的にとても成長できたような気がする。今社会に表立たせている自分の姿は、けっこう好みのものになってきているように思う。そんな時期だっただけに、動揺も一入である。
ただ、これだけ意識していたことすら忘れてしまうのなら、かつての日記を読み直すことでそれを思い出せるのなら、やはり日記というものは素晴らしい。だからこそ、世の中の流れがmixiからtwitterに流れていってしまったことはとても惜しいと思う。140字で表現できることというのは限られている。もちろん、制限があるからこそ生まれてくるものもあるのだが。
昔の日記を読み返すまで、彼女にフラれた要因は俺にはないと思っていた。ブラック企業で視界を狭められた彼女の目に、俺の存在や成長が映らなくなったのは仕方のないことだと思っていたし、その狭い視野に別の人間が映ってしまったのだとしたら、それもまた仕方のないことだと思った。
少し内面の幼い彼女の心の激動への配慮が、あまりにも足りなかったのではないか?そういった気持ちを忘れていたからこそ、今回このようなことになったのではないか?
彼女に100%要因があると思っていたし、なんなら大半は彼女自身の問題だと、今でも思っている。ただ、数%でも自分に要因があるとするならば、俺はそれを許すわけにはいかない。せっかくの機会なのだから、その数%すら正して次に生かすっていうのが今のスタンスだし、カッコイイ、はず…。
なんの話をしようとしてたんだっけな。そもそも何か話をしたかったんだっけな。
というよりも、文章として表現して、周りに理解して欲しかったことがたくさんあるんだな。複雑怪奇な人間というものの心理を理解してもらうためには、会話だけでは不十分で、頭でしっかり纏め上げた文章を見てもらう必要がある。少なくとも、俺にはそれが必要だった。何遍も言いたいけど、mixiはそんな俺にとって救いのツールだったし、そうなり得るツールであった。
これからも、思い出した時に誰にも見られたくない日記をつけていこうかと思う。
…という旨の日記をmixiに書いたのだけど、いつサービスが終わるのかわかったもんじゃないから、アメブロに移行するよ(´-ω-`)