■ 日米: 文化の違い、ビジネスの違い
先週くらいから、たかが語学学校とたかをくくっていた宿題やテスト準備も意外と大変で苦労していた。そりゃそうである。この後に大学院が控えているとはいえ、私の英語力は甚だお寒いものであるからだ。
それでも先週?今週?くらいから、随分変わった気がする。明らかに、正しい英語ではない、のではあるが、とりあえず口からでてくる。しゃべってる最中に自分でも何言ってるかわかんないけど、「ま、いいか」みたいな。それで相手が理解できなければ、また、別の、正しくない英語を話せばいいや、的な感覚。
英語力、という意味では上達していないのだろうが、それでもコミュニケーション力はあがっている。こちらにきてまず感じた、台湾人、韓国人のよくしゃべること。間違っててもいいから、とにかく話す、しゃべる。それを目標にしてきた身としては、ちょっと嬉しい。この適当なノリで、大学院にも乗り込みたいものである。
そんな語学学校も明日でおしまい。今日は久しぶりに宿題のない夜をゆっくりすごしている。いろいろとやることはあるが、こちらにきて初めてのアマゾンでの買い物。大好きな自己啓発系の本に飢えており、数冊を購入予定。
そんな中、以前からブログに書こうと思っていたことを、"ふと"思い出したので今日2度目のアップ。
こちらにきてびっくりすることがある。それは、インターネットの利用はもちろんのこと、自動販売機の利用に至るまで、日常のサービスの中に、「価格差」があるということ。主な経験をあげてみよう。
①初めて気付いたのは、日本にいたとき。
大学院の最初の学期のRegistration Fee($2000弱)を払おうとしたとき。もちろん日本にいるので、学校の窓口にはいけないため、インターネット経由~クレジットカード払いを選択。いろいろと必要項目を入力していった先にでていたメッセージは、
「ご利用には○○%の手数料がかかります」
小額ならともかく、$2000ともなるとそれなりになる料率。仕方ない、払うか。
②次に気付いたのは、こちらにきた直後。
このアパートにも自動販売機があるのでたまに利用するが、500mlの水が$1.25。日本より高い。最初のうちはそんなものかな、と変に納得していたが、ある日やっぱりおかしいことに気付く。スーパーでは2リットルくらいの水が$0.98とかで売っているからだ。
何で多い方が安いのか?これはアメリカ人に聞かなければ、と、次の日さっそく、語学学校の先生に聞いてみる。「アメリカでは自動販売機とお店の価格がなぜ違うのか?」
帰ってきた答えは、「だってそれは便利だからでしょ」
なんの疑問も彼にはない。それが当たり前なのだ。
言われてみれば確かにそう。何かとコミュニケーションの多いこの国。異国から移り住んできた人間には、たまにはそれが鬱陶しく感じることもある。ならば自動販売機で買うかな、と。なるほど、私も確かに便利を買っている。
経済合理性から言えば、アメリカの方が、至極当然である。便利を提供する=高い(手数料が上乗せされている)。でもなぜか日本人である私には信じられない。日本ではありえない。
一本二百数十円する2リットルペットボトルのお茶が、カクヤスで190円で"安く"売ってることはあっても、自動販売機で買うから"高い"、ということはない。むしろ、たまに100円缶コーヒーとかを売っているタバコ屋さん脇の自販機があるくらい。
③最後は、インターネットの申し込み。
先日も書いたとおり、電話をAT&Tで申し込んだ関係で、インターネットもAT&T。一番安いもので1ヶ月$12という安さ。と、いうことで、先日電話を契約したときに一緒にインターネットも契約しようと思ってオペレーターに伝えたところ、「月$29(?)になります」と。
「なんで?」とたずねると、$12というのは、固定電話も申し込み、"かつ"、インターネットの申し込みもウェブから行った場合とのこと。しかもウェブで申し込んでも、48時間以内にAT&Tから電話をくれるらしい。。。確かに、いつくるか分からない電話申し込みよりも、事前にウェブから登録しておけば、将来の仕事量の把握は可能だろうが、、、。今、こうして話しているんだから契約させてよ、といっても全く駄目、「$29になりますがいいですか?」
初期投資の早期回収効率などを無視すれば、前述の通り、経済合理性の観点からアメリカでのこの行動が正しいのだろう。でもよくそれで企業がやっていけるほど、消費者=アメリカ国民がそれに納得しているか、ということにむしろ感心する。やっぱり、国土が広いだとか、日本のように隅々までサービスが行きわたりずらいだとか、そういったことが影響しているのだろうが。そう考えると、日本という国が、むしろ変なのか?
それにしても、こういう感覚を持っている外国人経営者が、突如として日本の会社の経営再建にやってきたらどれほど大変なことかと、感じさせられる。ましてやかなりの短期間での成果を求められるアメリカ系の企業出身者では、文化の違いに心から気付いたころはもう、母国に帰っている(帰らされている)のかもしれない。
多くの外国人経営者が日本に来ては目立った成績も出せず帰っていく。それは、"その人のその国"における評価、能力が高い、低いではなく、こうした文化の違いをいかに柔軟に吸収し、自らの経験と併せて、新しいものをつくりあげていく能力のある人が、むしろいい結果を生み出るのだろうと痛感する。