昔、作家に憧れていた頃、ある本の一文を読みました。
『自分の天才性を信じたいなら、どこにも出さない事。自分だけで書いていれば、自分は天才だと信じていられる』
なるほどなー……と、当時感心した事を覚えています
先日、そんな事を思い出していたら。
それを聞いた宇宙人リコスが
「俺からしたら、それ大間違い!!自分の天才性を作るのは自分だぜ!!」
と
「俺は自分を天才だと思ってるわけ何のって?コミュニケーションの天才、しゃべりの天才、楽しく生きる天才、諸々天才」
……………………
「自分の天才性を信じたいなら、まずは何と言われようと、自分が自分を天才だって信じる事!
他に何て言われたって構わねーんだよ、自分がそう思ってんだから!
そんで、その天才性を外に出す!
昔のお前の場合なら、書いた話を発信する!出版社に持ち込むなよ!たった一人の編集者がダメって言ったらダメになるんだから!」
斬新ですね…………
「ネットだってなんだって、今はたくさん媒体があんだろ!?あれを見てみろ!
お前、よくこの出来で載せたな!?ってヤツも沢山いるだろ!?
人は自分の人生生きる限り、一冊は本書けるって言われてるらしいけど、俺は、どんなやつでも書いた話を発信すれば、一人はファンができると思うね!
それ位、ネットの世界は広くて、感性は千差万別!
文章がなってなくたって、その世界観が好きだってヤツは出てくるんだよ!
それを、たった一人の編集者がダメって言ったからとか、応募して落選したからダメとか、馬鹿げてるぜ!!」
あ、ちなみに私はどれも経験ないです
(そこまでいく前に、物語を生み出す才能がないと、自分で諦めついたので)
「ゴッホを見ろ!生きてる内にもう少し売れてりゃあ、天才性が証明された!
でも、結局死んでから、バカ売れ!
世の中がゴッホについて来てなかったといえばそうだけどな、当時、ゴッホの絵をいいと思ってたヤツもいたかもしんない!
でも、買ったらバカって烙印を、世評に押されるのを恐れたかも知んない。
他人の評価なんざ、結局その程度のもんなんだよ!
だったら、自分は天才だとはじめから自分が信じて何が悪いよ?
『俺は天才です』って本気で言ったら、何人かは、『あの人天才らしい』って思うんだよ!
そこに天才性は作られるんだ!」
そんなもんですかね………
「そんなもんだよ!「天才」って言われてるやつの大半は、他人の評価だぜ?
自分で思ってなけりゃ、他人が離れた瞬間、凡才に成り下がる。
天才ってそんなもんなの?
何があっても、他人に認められなくても、自分が天才って思ってりゃ、他人の評価なんざどうでもいいんだよ!
そんでもって、貫き通しゃ、いつか周りがついてくるかもしんねーんだよ。
あ?
ついてこなかったら?自分だけが天才って思ってる状況が変わんねーだけ!
いいじゃん、上等じゃん!
自分っていう最高の味方だけは、天才って思ってんだから!」
「いいか、他人の評価上の『天才』なんて、砂上の楼閣だぜ、他人の評価が変わったらあっさり落城!
自分の信じる『天才』は、永遠!
天才を何より自分が信じる事が、お前を天才にするから安心しろ!
『天才のなり方教えます』って、俺出来そうじゃね!?
やっぱ俺天才だわ!!」
………………
「引き寄せと一緒なんだよ、天才を信じて天才になりきる波動が、現実を変えて、天才の出来上がり
お前も、自分を天才だと信じろよ?」
リコスみたいには出来そうにないけれど、リコスの話を聞いてると、そうなのかも……と思う所が、彼の天才性なのかもしれません
騙されたと思ってやってみな?簡単じゃねーけどな! by天才リコス