母の闘病の話です。
苦手な方、読むと辛くなってしまう方、
スルーして頂けたら幸いです。

気持ちの整理をするために、
私にはどうしても書いておきたいこと。
長文、自分語りになりますので、
お付き合い頂ける方のみお願いしますニコニコ


私の母は、10年間の闘病の末、

57歳の若さでこの世を去りました。


原発は卵巣癌でしたが、

自覚症状がなかったため、

卵巣が破裂してしまい、

がん細胞が全身に飛び散り、

リンパに転移した状態で病気が発覚。


すぐに手術と抗がん剤をしました。

放射線もしましたね。

しかし、癌の種類が明細胞癌という

タチの悪いもので、

余命半年を告げられました。


母は当時47歳。

私は20歳でした。


その後、サードオピニオンではきかないくらい

色々な医師の見解を聞きましたが、

皆、余命半年から1年と同じ見解。


卵巣が破裂しなければ…

リンパに転移しなければ…


短大卒で社会人一年目だった私。

とにかく自分のことで精一杯。

母のことをもっと気にかけていたら

早期発見できたかもショボーン


たらればの後悔ばかりが浮かんできて、

胸が締め付けられる日々でした。


そこからは壮絶な闘病生活。

再発、転移を繰り返す。


リンパ浮腫に苦しむ。


血栓が脳に飛んで、脳梗塞で左半身麻痺。


それでも母は何度でも何度でも

立ち上がりました。

諦めませんでした。

弱音はたくさん吐いてましたが(笑)

30分と悩んでいられない母は、

少し時間が経つともう笑っていたな。


余命半年と告げた医師たちも、

目を丸くすることしかできなかった。


だって、余命半年の患者が

気がつけば10年闘病したのですから。


しかし、そんな母も

最期は癌の前に散ってしまった。



事故や病気であっという間に亡くなってしまう人に比べたらいいじゃない。

そう思う方もいると思います。

実際言われたこともあります。


でも、どちらがどうだなんて当事者以外が簡単に言えるものではないと思う。


比べるものではないし、

比べてはいけないこと。

どんな形でも

身内との別れは苦しいものです。


母が亡くなって6年ちょっと。


母の最期の顔が今でも忘れられない。

意識がないままそのまま亡くなるでしょうと

言われていたのに、

最期にかっと目を見開き、

父、姉、私の顔を見渡して

静かに目を閉じて

一粒の涙を流して亡くなった。


こうやって聞くと感動的な話なのかもしれない。



実際は恐ろしさが勝った。

母が恐ろしいということではなく、

人が死ぬってこういうことなんだ。

看取るってこういうことなんだ。


母の口から、

ハァーーーッと長い呼吸が

漏れ出したのを最後に

母の鼓動は止まった。


漏れ出したのは呼吸だったのか。

わたしには魂だったように思えてならない。


今でも母のことを思い出すと、

悲しみ、恋しさだけでは語れない

トラウマのような空恐ろしさが

どうしてもある。

きっとずっと抱えていく気持ちなんだろうな。


決して孝行娘ではなかった私。

母は私みたいな娘で幸せだったのかな。

産んでよかったって思ってもらえてたかな。



母が遺してくれたことは、

悲しいことや辛いことだけでは

ありませんでした。


やれることがあるうちは

絶対に諦めない心


母が命をかけて産んでくれた姉の存在。あ、父も。笑


辛い時に力になってくれた

一生の友を慈しむ心


病は体は蝕めても、

心までは奪えないこと


結局、余命なんて医師にも

誰にもわからない。

わからないからこそ

1日1日精一杯生きるしかない。


ハクの病気を宣告された時も

一度は絶望感を味わいましたが、

母の闘病を思い出し、

こんなところでへこたれてる場合か!

と自分を奮い立たせることができました。


今思い返すと、

母はとても強い人だったなと思います。


その母の遺伝子を受け継いでる限りは、

私も心の強さを持っているはず。


最後に

母へ。


ママ、今何してるのかな。

天国では持ち前の明るさで

楽しく過ごしてるかなニコニコ

ママがずっと見たがっていた孫、

無事に産まれたよ。

かわいくてやんちゃな男の子だよ。


もっと一緒に過ごしたかったね。

ママと息子が触れ合う姿をこの目で見たかったよ。


これからもしっかり生きていくからね。

ハクのことどうかお守りください。


まだまだ先になるけど、

またいつか会おうね。