ブログを読み返してみると
【怖い】という言葉が頻繁に出てくる
何が怖い?→人が怖い
→人からどう思われるかが怖い
人からどう思われようが関係ないでしょ?
→いや、大有りです。
他人の評価が自分の存在価値=【命】
になってしまっている
今現在が、生き辛い理由は
概ね《過去》に原因があり
過去=親との関係性といえる
毒親でも立派な大人になった人だっている
過去に原因がある人全員がそうなるわけではない
んなことわかってます
固定された不全の幼少の性格に
変わる人との出会いがあったか
変われるくらいに固定されてはいなかった
それも無視はできない
「そう」なってしまったままなのは
結局機会に恵まれなかったのか
本人の努力不足なのか
たぶんその両方を拗らせた
実力不足だから演じてきたのか
演じるから実力が不足したままなのか
どちらにせよ、何にしろ
【命】を守るということが
「他人から評価されること」とイコールで
昔からの押し付けられた習慣のため
他人から評価されるには、
自分を演じるしか術を知らない
(他人軸の権化)
他人からの評価=【自分の命】のうえに
自分ではない《演者》が命を守ろうとしてる
こんなに色々と頑張ってきたのに
(自分で言うか?笑)
何をしてもハマらず流れにも乗れず
どこか浮ついた、自分じゃ無い感じは
これが原因なんだろうか
客観的とか違った視点からとか
「もう一人の自分」的なものは必要だけど
本人の命を〈怖いから〉と本人が守らずに
演じている者に守らせているから
ズレが生じて上手く事が運ばないのだろう
自分は自分だ。わかっている
それなのに「生身の自分」を出せない