作者:白 景皓

 

 日蓮上人は『諸法実相抄』の中で、妙法蓮華経の五字七字を弘通することの喜悦を表す。日蓮上人は、「かかる身となるも、妙法蓮華経の五字七字を弘むる故なり。…現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思って喜ぶにもなみだせきあえず。」と述べている。しかし、その妙法蓮華経の五字はいかなる意味を持っているのか、なぜ喜悦が生じるのか、私はこのように考えている。

「妙法蓮華経」のサンスクリット語は Saddharmapuṇḍarīkaである。sadは「妙」、dharmaは「法」、puṇḍarīkaは「蓮華」に対応している。サンスクリット語の意味合いの通り、「白蓮の如き正しい教え」と和訳されるべきである。すなわち、譬喩基準は「白蓮」、譬喩対象は「正しい教え(妙法)」である。puṇḍarīka(白蓮)はpadma(ハス)と異なり、最上・優秀の意味を持ち、saddharmaは仏が説いた素晴らしい教えである。最終的に、この「妙法蓮華経」は「仏の全ての教えの中の最上の経典」と示している。諸経典における「白蓮」の基本的な用例の意義を七種に要約する。

(1)白蓮が汚れていない(不染)

⇨染著されない仏の教え

(2)白蓮が咲く(開敷)

⇨衆生の悟りを開発させる仏の教え

(3)白蓮が成長する(増長)

⇨衆生の悟りを次第に成長させる仏の教え

(4)白蓮が安穏である(不傾動)

⇨動かず、壊れない仏の教え

(5)白蓮が聖人性を持つ(君子種)

⇨聖なる仏の教え

(6)白蓮が泥水から水の上に成長して咲く(出水開敷)

⇨忍辱の報いとしての平等安穏なる状態

(7)白蓮が最上者である(最上)

⇨最上・最優秀なる仏の教え

したがって、日蓮上人が説いた「現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思って喜ぶにもなみだせきあえず。」は、妙法蓮華経の「蓮華」(白蓮)の出水開敷の意味に基づく理解であると思われる。ここで、妙法蓮華経の五字が励ましてくれるのは、私たちは、この世間において苦杯を嘗める際、日蓮上人に倣って、世間の人たちに妙法蓮華経を唱えながら忍辱することにより、未来必ず世間を超越して成仏できる(出水開敷)。このように考えて、私たちの生活や法華経の弘通に自信を持っていないのであろうか?