今回は自流介護法をご紹介したいと思います。

まず、母は低酸素脳症で、脳幹の部分は機能が残されています。しかし、大脳の方は、意識はあるのですが、こちらからの命令には応じてくれません。

しかし、危篤で倒れて、ICUから病棟に戻って来た時は、ほとんど意識はありませんでした。

そこで始めたのは手浴です。心優しい看護師さんに勧められたのですが、毎晩、洗面器に浴槽剤を溶かして、手の末端神経まで、マッサージします。

やり方は、手の甲をほぐし、内側を揉みます。そして、大事な指は揉みながら伸ばしましょう。仕上げは、手首から、グッと全体的に伸ばしてあげましょう。この方法は、ネイルサロンに通っていた頃にして頂いていた方法を真似たものです。

そうすると、続けること約1ヶ月、口元が動き出したり、足先がパタパタとしました。

これにはびっくりしましたが、是非、寝たきりの方にはお薦めの介護法です。何より、本人の計り知れないストレスが解消されること間違いないです。

そして、意識が完全に戻ってくれれば…と、勝手に喜んでしまう私です。

本日は、ご入院中の方、そしてその御家族のために、医療現場での医師の立場、そして看護師の立場を、講じてみたいと思います。

まず医師は、外来・オペ・学会などで多忙極まり、入院患者のことは現場の看護師任せであることです。強いて言えば、看護師長が病棟の実権を掌握しています。

今から2ヶ月前のことですが、ある末期の患者さんが、栄養状態も悪く、歩行もままならないまま、強制退院させられました。

あとで、看護師さんに確認したところ、「脳に転移していて、勝手なことをし出すので、困っていますと先生に訴えたのです」と聞き出しました。

もちろん、御本人はそのような事情は知らず、家族は強制退院に疑念を持たれていたので、主治医の先生と、口論されていました。

しかし、看護師サイドから圧力をかけられていた主治医は、服に着替えることも、靴を履くこともできない末期の患者さんを、笑顔を取り繕って追い出していました。

医師は医療行為をするのみで、病棟管理は看護師長がするものなのです。

注意を払わなければならないのが病棟での過ごし方です。この点については、また講じたいと思います。
母は、看護師の詰め所から一番近い部屋に入院することになりました。その部屋は看護師の目が一番行き届くため「経過観察室」と呼ばれます。

その部屋では、元気に退院される方は少なく、多くの方が残念なことに天国に召されるのです。

しかし、天国への送り方があまりにも信じられない光景が多く、恐怖を感じていました。

例えば、最後の命の手綱である人工呼吸器を看護師が外していたり、危篤の患者の処置を医師からの電話の指示により看護師が医療行為を行っていたりしたのです。

上記のどちらの行為も、勿論、医師法に抵触し、医療行為をした看護師、指示を出した医師、そしてその管理者である上司が逮捕されるのが一般的刑事法概念でしょう。

その場合、「先生分かりません、教えてください」と積極的に指示を求めていた看護師は無知でしたとでは済まされないはずです。

他にも、いくつも、理不尽という表現では片付けられない光景を目の当たりにしています。





呼吸器科の部長が主治医として決まりました。人間見た目で判断すべきではないですが、髪も髭ものびっぱなしの怪しげな風貌の医師でした。

主治医は母の病状の説明を一通り終わると、「入院する限り、最悪の事態も避けられないです」と脅しとも取れる言葉に、愕然としている私に、いざというときの応急処置などを含めた数々の書面にサインするように促しました。

医師というのは、患者のために最善を尽くさなければならず、その精神は医師法にも記載されています。

それゆえに、上記のような言葉を浴びせられ、「この病院で助かるのか」という疑念が払拭されませんでした。

とりあえず、医学的にはあまり深刻な病でない気胸のための入院だったため、あまり深く考えないようにと自分に言い聞かせ、母をその病院で看ていただくことになりました。

しかし、その後長らく、その病院にお世話になるにつれ、信じられない光景や理不尽な医療現場に、驚きと憤りが隠せなくなったのです。
母が入院したのは、7月16日、今から4ヶ月前のことです。

自宅療養中の母が急にいつもとは違う呼吸の苦しさを訴えたのです。

かかりつけの病院より、近くの緊急病院に連れていってほしいという母の意向に従いました。

検査の結果、左の肺が気胸であることが判明し、即座に処置が行われました。

その時のERの医師が驚いたのは、母の呼吸数でした。1分間に40回以上あったのです。

いつもこれぐらいの回数ですかとの医師の問いに、回数までは分かりませんが頻呼吸であるのは確かです、と答えました。

その医師は、かかりつけの病院の診察に疑問がある表情を隠しきれない様子でした。

その後、気胸のため緊急入院という運びになり、その時の予定では2週間ぐらいでした。

母は15年前から難病である膠原病を患っており、10年前から合併症である強皮症と、5年前から同じく合併症である間質性肺炎で苦しむようになったのです。

翌日に主治医が決まり、私たち親子の悪夢が始まったのです。

その日の朝7時に、母の入院先の病院の呼吸器科の医師から、母が意識不明の重体だと電話がかかってきました。

土砂降りの雨の中、駆け足で病院に駆けつけたときには、母は私に「くるしい」と口元を微妙にうごかしながら、それが最後であろう言葉になりました。

ただちに人工呼吸器がつけられ、動脈採血の結果、二酸化炭素が身体に飽和状態であるため意識不明だという医師の判断でした。

20分程すれば意識は戻ります、という医師の言葉を待てど、意識は戻らず、母は痙攣を起こし始めました。医師に確認しましたが、その痙攣については分かりません、という回答でした。

その後、その医師が主治医に電話にて判断を確認したところ、低酸素脳症になった時に表れる症状であるミオクローヌスだったのです。

休み中の主治医は10時頃、病室に駆けつけました。ICUにて低体温療法で、意識を取り戻すことにかけることになりました。

重篤にもかかわらず、午後1時にICUに運ばれるまでに、時間がかかり過ぎていることに疑問を感じましたが、その日の午後6時から、低体温療法が2日間行われました。

9月8日から母と私の人生は変わらざるを得ませんでした。そして、医師と医療現場に憤りを覚えながら、今なお、親子二人が奮闘しています。

最大の怒りは「入院中にどうして低酸素脳症になったのか、医療過誤があったのではないか」という当然の疑問です。