「よかった……助かった……!」

 

 

再挿管を終え、長男の顔に血色が戻る。
ピンク色の頬を見た瞬間、胸の奥からこみ上げるものがあった。
まるで何事もなかったかのように、彼は再び夢の中へ。
その寝顔を見つめながら、妻と二人、安堵の笑みで互いをたたえ合った。

あの日の奇跡は、
「命の尊さ」と「家族の強さ」

を教えてくれた――。

 

つい先日のこと。
数年に一度、そんな“まさか”が起きることはあった。けれど今回は、自宅での休日の早朝――まるで神様のいたずらのように、突然その瞬間が訪れた。

長男の気管切開のカニューレが外れていた
ほんの、私がトイレに立ったわずかな時間の出来事だった。

 


長男は自発呼吸が弱く、特に就寝時は人工呼吸器で呼吸をサポートしている。
ちなみに気管カニューレとは、喉の気切孔から気管に通す小さなチューブ。呼吸を助け、痰を吸引しやすくするための大切な“命のパーツ”だ。
それが外れるということは――彼にとって“呼吸の道”が絶たれるということ。

数分のうちに、長男の唇が青く染まり始めた。
バイタルモニターの数値は急降下し、彼が寝る居間に警告音が鳴り響く。
あの独特の電子音が、心臓を鷲掴みにするように響いた。
すぐさま妻と二人、血の気が引く思いでリカバリーにあたった。

 


幸い、今回はすぐに再挿管ができた。
それでも、なぜ外れたのかは原因は不明のまま。
もともと彼は自分で体を動かすことはほとんどできず、装着も固定も完璧だった。

赤ちゃんの時から発声はできなかったが、気管カニューレ挿管により喉に大きな穴があき、発声自体ほぼできない。

だから起きていて「息苦しい」などの異変もアラーム音以外にもともと他社に伝えるすべがないのだ。
唯一推測できるのは、睡眠中にほんのわずか、無意識のうちに身をよじり、奇跡的な角度でチューブが外れた――それしか説明がつかなかった。

 

「ありえない偶然」が重なると、悲劇は起きる。
けれど同じように、「ありえない偶然」が重なって、救われることもある。

私がトイレの途中で違和感を感じてすぐに息子のベッドに戻ったこと。
妻が外出せず、すぐ隣の部屋にいたこと。だから私の呼ぶ声にすぐさま反応ができた。
そして、長男がまだ“間に合う状態”でいてくれたこと。

さらに言えば、数年に一度ではあるが「何度か同様のイレギュラー」やリカバリー、そして蘇生を経験していたこと。

どれか一つでも欠けていたら、今こうして穏やかに振り返ることはできなかっただろう。

 


これまでも何度か、救急車を待ちながら息子の命の灯が揺らぐのをただ見つめるしかない瞬間があった。
あの絶望を思い出すだけで、胸の奥が締めつけられる。
だからこそ、今回は本当に奇跡だった。
神様が「大丈夫、まだ早い」と言ってくれたような気がした。

生と死は、本当に紙一重だ。
少しの風、少しのズレで命は消えてしまう。
だからこそ、“いま”を大切に生きることの尊さを、あらためて噛みしめた。