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おは・こんにち・ばんはウインク

先日、懇意にしている仏師さん&仏師さんの御友人(バスケットマン🏀)と夕食。

毎度ですが、様々なお話を聞かせて頂きありがとうございます。





(↑仏師さんについて)






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↑は、2019県沖地震後に仏像の修復に来て下さった時の写真。






さて、本題の平和観音像(荘内平和観音第77番)

もう一つのエピソードキョロキョロ







(↑昨年紹介したエピソード)







    
日本の近現代における五大仏師

西光寺先々代住職




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西光寺Instagramの方では、昨日投稿していました。

Instagramの内容を少し膨らませて編集したものを↓↓




(↑pic.①角香炉)




かつて..庄内地方には、"白蓮堂"という仏師が居た。西光寺内で現存している仏具・仏像にも、その名が確認できる。





pic.①角香炉

pic.②礼盤

pic.③荘内平和観音(第77番)






(↑pic.②礼盤)






平和観音は、昨夏の投稿でも触れました。





もう一つのエピソードとして、先々代住職と制作者:佐久間白雲氏のやり取りが伝わっています。






(↑先々代住職 戦中に撮影か?)








白雲氏は、高村光雲(代表作:老猿)の孫弟子。




施主の願いを受け、先々代住職は白蓮堂へ平和観音の制作を依頼。白蓮堂の子息であった若かりし白雲氏によって、平和観音像は制作されました。








しかし... 納得のいく出来でなかったのか、
白雲氏は後年に渡って


作り直させて欲しい..

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と、西光寺を度々訪れました。








対して先々代住職は、


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貴方が若かりし頃の作として、この観音像は後世へ伝わる。施主も喜んでいる。仏師修行の糧として、私たちが役に立てたなら光栄なこと。


と答えていたそうです。






(↑pic.③荘内平和観音)





その後..白雲氏は岩手県内に工房を構え、



日本の近現代における五大仏師に数えられることとなりました。







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如何でしたか?

人間と同じように、納められた仏像・仏具のひとつひとつにエピソードがあります。

そういったエピソードを知った上で仏具・仏像に触れるとき、使う側としての僧侶に意味や価値が生まれるのだと思いました。









⭐️オマケ




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Nujabes好きの方々なら、知らない人はいない曲です(歌唱なし)

没後の2015年、未発表音源が市場へリリースされました。

昨今盛んに言われている、「チルい」とか「エモい」の先へ既に到達していたのだと思います。




今思えば..Nujabesを知ったキッカケは、

アニメや本屋。




(↑アニメのエンディング)

"music by Nujabes" や "track produced by Nujabes"のテロップも


(↑本屋で流れてた)





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大学へ進学する前..ですね。

当時..推薦入試で合格してましたから、卒業式までの自由登校期間はゆとりがあったんですよね。

午前は旧市内へ出て勉強してるフリ、午後は本屋とか..。アニメも観まくってました照れ


↑悲報.「推薦入試に合格したワイ(私)、道徳を失ってしまう」って感じだったと思います..








Nujabesが生きていたら..と語り始めると、翌朝になりそうなのでやめます