ごまちゃんが亡くなって、今日で1ヶ月。




6月11日はお誕生日だった。



一緒に産まれた

こまちゃんと、むぅーちゃんは11歳になったよ。



ごまちゃんは10歳のままだね。











ごまちゃん、ひとりだけ顔が黒いね。

かわいい。





ごまちゃんがいなくなって3週間。




まだ嘘なんじゃないか、

嘘ならいいのにってずっとずっと考えてる。



何をしていてもすぐに考えてしまう。


どうして死んじゃったのか、

どうしてここにいないのか。


朝目が覚めて、ごまちゃんの兄弟が隣に寝てる時も、



みんなで散歩に行く時も、



散歩から帰ってみんながおやつ欲しがって足元に群がる時も、



仕事から帰るとみんながリビングの窓からこっちに向かって吠えてる時も、




ごまちゃんはそこにもういない。



みんなワンワン吠えてるのに、

ごまちゃんだけ立派に遠吠えのような鳴き声で泣いてたり、

おやつはコレが大好きだったなぁとか、

朝目が覚めたらごまちゃんのお尻が目の前にあったり、

みんなリビングに残ってるのにごまちゃんだけ部屋までよく覗きに来てた姿とか、



もう見れない。

死んでしまった。



苦しくて苦しくて仕方ない。

色んな所にごまちゃんの面影を探してる。

今も思い出しながら泣いてる。




熊本地震の後しばらくしてから、

あたしの母に癌が見付かった。


咳が止まらなくて、食事の時もむせるようになって、病院では風邪って言われてたけど癌だった。


半年前に住民検診で肺のレントゲン受けた時は異常なしと言われてたのに。


肺腺がんstageIV

骨転移、多発脳転移、胸水あり。



もうダメかと思ったけど、運良くEGFRっていう遺伝子変異のタイプで

分子標的薬や抗がん剤、全脳照射まで治療をがんばって、

5年経った今も、できなくなったことはあれどまだ自宅で生活できてる。


副作用が辛かった時も、

入院で体力が低下して歩けなくなってベッドに寝てばかりだった時も、

いつも母を慕って近くにいて、母の支えになってくれたのがごまちゃんだった。




他の子と違っておっとりしてて。

母のことが大好きで、気が付けば母の膝の上にいて、




母もそんなごまちゃんのことが1番で。


訪問リハと看護の方が来る時は、一丁前に監視役になってたごまちゃん。

訪問の人が来ると、颯爽と現れて大人しくリハビリが終わるのを傍で待ってた。





もういない。



母は「精一杯やってあげたよ」って、あたしのことを絶対に責めないけど、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。



ごまちゃんの他に3匹いるけど、マイペースな子達だから自由気ままにしてる子ばかり。

ごまちゃんがいない分、母はその子達を気にかけるようになったけど、みんなあまり母の部屋には行かない。


1人で家にいる事が多い母。


ごまちゃんがいなくなったストレスと、

世話する相手がいなくなったことで、受ける刺激が少なくなったせいか、最近物忘れがひどくなってる気もする。


リハビリがんばって、だいぶ体力も付いて来たし、

前みたいにごまちゃんとお散歩できる日もそう遠くないと思ってた。








ごまちゃんを助けてあげられなくてごめんなさい。

死なせちゃってごめんなさい。


お母さんから、ごまちゃんを取り上げてしまってごめんなさい…



毎日毎日、仕事をしていても、フッとした瞬間にごまちゃんのことを考えてる。

3週間経っても、一日中考えてる。



どうして、

あのとき、

なんで。



死なせない為の分岐点は、いくつもあったはずなのに、

ぜんぶ悪い方向へ繋がってしまってた。


手術後に敗血症で入院するギリギリの前日だって、

元気がないですって病院連れて行ってた。

手術前後は少なくても2日に1回、

なんなら毎日行ってた。


お金を返して欲しいわけじゃない。

でも、ごまちゃんが助かるなら!って病院にすべて任せたのにどうして?なんで?


単純な問題じゃないのは、分かるけど、

いつも行き着くところは、



「眼の手術をしただけなのに」



すべて色々忘れる時間が欲しくて、

ちょっと家から離れて遠出してみたけどダメだった。


むしろ、もっと苦しくなってしまったかもしれない。


吐き出したくて帰りの飛行機でこれを書いてる。




姪っ子がLINEのプロフィールに書いてた。


「ゴマちゃん帰ってきてよぉ



…ほんとだね。

ごめんね。


家に着いたら、

ごまちゃんが遠吠えしてくれたらいいのに。






ごまちゃん。

あたしの大好きなごまちゃん。



手の届かないところへ行ってしまった。


こんなはずじゃなかった。

眼を手術しただけなのに。


角膜潰瘍がひどくなってしまって、結膜フラップ手術を受けた。


(眼が痛くて、熱もあってハァハァしてるごまちゃん)


麻酔を何度もかけたくなくて、同時に反対の眼のマイボーム腺種切除と、グラグラしてた抜歯もした。


もともと自己免疫疾患を持ってて、度々発熱したり、調子の浮き沈みがあったり、皮膚に炎症が出たり。

てんかん発作を起こすこともあった。



思い返すと4月に入ってから、キツそうな日が多かった。

その度に病院にかかってた。


眼がキツそうで、点眼も服薬もあまり効かなくてどんどん眼の状態も悪くなって、眼と視力を守る為、調子が悪くなってる「原因」の眼の手術に踏み切った。



でも思い返すときっとちがう。

「原因」はきっと自己免疫疾患の方で、弱ってるのに手術したらいけなかったんだと思う。



守るべきはごまちゃんの命だったのに。



手術しても視力が残らなかった場合に、せめて反対の眼は守ろうと、大きくなってきてたマイボーム腺種と抜歯までお願いしてしまった。



結果、術後の調子もあがらずどんどん元気がなくなった。


エリザベスカラーをしてても手術して閉じてある眼を気にして擦りつけてしまうから、擦らないように夜もほとんど寝ずに抱っこしたり気を紛らわせたりした。


それでもあたしが仕事に行ってるすきに、擦って糸が取れてしまって、その度に縫ってもらった。


気が狂いそうだったけど、眼を守りたかった。


数日経ったら、角膜潰瘍の手術をしてない方(マイボーム腺種を取った方)の黒目が傷付いて、あっという間に真っ白になった。

黒目の部分に膿が溜まりだした。


どんどん調子も悪くなって、術後1週間で体が限界。

白血病の数値もガクンと下がって、炎症の数値は上がった。

ほぼ毎日病院通ってたのに、敗血症だった。




生きるか死ぬか分からない状態で、入院。



すごくすごくがんばってくれて、1週間後に持ち直した。
白くなった眼は、角膜浮腫も起こしてひどい状態でこのままだと眼球摘出しかないかもということだったけど、その時点で命は助かったんだと思った。

お試しで外泊から始めて、日中は病院に戻して抗生剤
点滴。
白血球の数値も上がってきてくれて、炎症の数値もだいぶ下がってくれた。

結膜フラップした方の眼は、そろそろ抜糸の時期だったけど、もう少し閉じてましょうということで瞼は縫われたまま。

両眼ともに見えない状態で帰ってきたけど、
先生からは「敗血症の危機は脱したと思って良いので、突然どうこうなることはない」と聞いて安心しきってた。

連れて帰ってきたらご飯も少し食べれるようになって、
飲めなかった水もごくごく飲めて。

眼はもう、ダメでもいい。
全力でサポートする。
この子が生活しやすいように、なんでもする。

そう思ってたのに。

土曜日に最後の血液検査をして下痢をしたりしてたけど結果は安定。
日曜日は朝から念の為点滴だけしに行った。

日曜日はお昼頃まで餌も少し食べて、おやつも食べて、
水も飲んでおしっこも出てた。
夜に少し下痢。
血が少し付いてたけど、そんなに気にしてなかった。


夜中、4時くらいからなんだか苦しそうになって、
「うーんうーん」って唸りながら、ハッと起きて、ハァハァ言ってまた横になる。
さすってあげると楽そうだったので、胸に抱えてずっと声かけて、さすってた。

明らかに苦しそう。
病院はまだ開かない。

唸ってる声が痛々しくて、呼吸も1秒に1回するくらいものすごく早くて。
あたしは怖くて怖くて、ずっと抱きしめながら病院が開く時間を待った。

7時に家を出る頃にはもうぐったりで、おしっこしたいかな?って支えながら外に立たせたら、最後の力を振り絞ってよろよろ立ってた。
おしっこは出なかった。

7時半に病院開けてもらって診てもらったら、白血球がまたガクンと下がって、炎症の数値も上がり、
今度は腎臓の数値まで上がってきてた。

腎不全からの多臓器不全になる可能性を言われた。
点滴を急いで流すけど、いつどうなってもおかしくないこと、もし腎臓の数値が改善されないなら今夜が山かもしれないかもということ。

なんで?なんで?
もう大丈夫って、突然死んだりしないって言ったのに。

原因は敗血症の後遺症で血栓ができたのかもしれないって。

離れたくなかったけど、少しの可能性を信じて、また午後に面会に来るねって泣きながら仕事に行った。


心臓が張り裂けそうになりながら仕事してたのに、
母のお昼ご飯のこととか、たぶん夜までは大丈夫っていう変な自信か、3時半くらいに行けばいいかなとか思ってた。

いつどうなるかわからないって言われてたのに。

3時に病院から電話があった。

「いま、ごまちゃんの呼吸が止まりました」


あたしバカなの?
なんですぐに行かなかったの?

昼ごはんとかどうでもいいじゃん。

両眼が見えない状態で、
病院で、
ひとりで、ひとりで行かせてしまった。

まじで、なに、やってんの?

母と妹と3時15分に到着したけど、もう心臓も止まってた。
まだ温かかったけど、ごまちゃん
死んじゃった。


あたしが殺した。
あたしの選択が間違ってた。
あたしがごまちゃんの命を奪った。

あの時どうして、なんで。
手術もなんでした?

なんで抜歯まで頼んだ?
敗血症の原因になったんじゃない?

反対の眼もキレイだったのに、どうしてマイボーム腺種切除してもらった?
結果、術後気にして擦って、最後には両目とも見えなくさせた。


思い返すと4月の頭から体調悪い日が度々あったのに。
いつものことって楽観視してた。

眼の手術がキッカケで死ぬだなんて、夢にも思ってなかった。
まだ10歳。

来月11歳。


まだまだ若々しくて、死ぬだなんて考えてもみなかった。















かわいいかわいい、あたしのごまちゃん。


16歳になるお母さん犬と、ごまちゃんの兄弟2匹と、全部で4匹で生活してた。




兄弟と全然性格が違って、
すごく繊細で人に寄り添ってくれる優しい優しいごまちゃん。

兄弟喧嘩にも、ひとりいつも乗り遅れて、
自分は参戦してるつもりなのに、輪の外側でワンワン言ってるだけのどんくさいごまちゃん。

他の2匹は人間のことなんて構わず、ダーッと走っていくのに、ごまちゃんだけは横を歩いてくれてた。

よく人間のことを観察して、とても頭がいい子だった。


眼は1人だけギョロってしてるし、
体は細くて胴長だし、
なのに7キロもあるし、
歩き方もガニ股だし、
顔の毛は黒いし、
歯はガチャガチャだし、
病気がちで手もかかるし、

お母さん犬のお腹の中で、得にならないものばかりかき集めて産まれてきたねってよく笑って話してた。

でもそこがめちゃくちゃかわいいねって。






家に連れて帰ってきたごまちゃんは、

目の周りも綺麗にしてもらって、本当に寝てるみたい。


あたしのベッドに寝せて、二晩一緒に過ごした。


シーズーなのに大きな肉球。

肉球の匂い、首周りの匂い、

ごまちゃんの匂い。いい匂い。


起きて。

ごまちゃん起きて。

散歩にいこう。

おやつ食べよう。


お願い起きて。




私が死なせた。

私のせいで死んだ。


自己免疫疾患の怖さを分かってなかった。


獣医さんに

「なんで?どうして?死ぬなんて聞いてない。敗血症の可能性なんて聞いてない。敗血症の後遺症なんて可能性聞いてない。いきなり死ぬなんて聞いてない!!!」

って掴みかかりたい気持ちも勿論あるけど、きっとぜんぶあたしのせい。


その病院を選んだのもあたし。

抜歯もついでにって言ったのもあたし。


調子が悪くなると顔周辺に出る子だったから、手術してもしなくても、もしかしたらいずれ結果は同じだったかもしれないって、そんな風には思えない。

眼のことを考えて、いつものステロイドが使えないとか、免疫抑制剤の使いどころとか、色々難しかったのも分かってる。


でも、きっと、あたしが死なせた。


家族ももちろん悲しんでるけど、あたしは一生消えることはない後悔の念がベッタリ張り付いてる。


悔しい。

苦しい。

本当にごめん。


まろんの時も、もちろん後悔はあったけど、生ききってくれた!っていう想いもあった。


ごまちゃんは違う。


きっとまだ生きれた。

死ななくて良かったのに。

いっぱいいっぱい痛い思いして、眼も見えなくて不安で寂しくて、きっと訳が分からずひとりで死んだ。


外泊して病院に戻す時、戻りたくないってあたしにしがみついてた。


苦しい…


ずっと一緒にいたかったのに。

いれると思ってたのに。


火葬までの間、保冷剤を何度も替えてあげるのも、

なんだかごまちゃんをお世話してる変な感覚。


起きて、散歩いこう。

まだ寝るの?

って話しかけながらやり過ごしてる。



今日の夕方火葬する。


本当に

ごまちゃんが、

いなくなる


怖い。いやだ。

ごめんなさい。

だいすきだよ。